連載
下町やぶさか診療所
第三章 怒る子供・前 池永 陽 You Ikenaga

「いきさつは大体わかったけど」
 じろりと食卓の向こうから麻世が麟太郎を睨んだ。
「それで、どうするつもりなんだよ、じいさんは」
「そうだな、どうしたら、いちばん良太にとっていいのか。そこのところがな――大体、本当に直実さんが、その市原という男から金を借りているのかどうか。もし、借りていたとしたらいったい、いくらぐらいなのか。大金なのかそうでないのか」
 宙を見つめていう麟太郎に、
「そんなことは、どっちでもいいじゃないか。その市原が良太君に暴力を振るっているのは確かなんだから。だったら――」
 怒気を含んだ声で麻世はいった。
 やはり麻世は、良太の境遇に自分を重ねているようだ。
「だったら、どうしようというんだ。麻世としては」
「相手は男じゃないか。だったら、ぶん殴ってもいいんじゃないか。ヤキを入れようぜ。私にまかせてくれたら、ぼこぼこにしてやるからさ」
 絞り出すようにいった。
 麻世は相当怒っているようだ。
「ぼこぼこにヤキを入れれば、本当に解決するのか。それだけで終ってしまうんじゃねえのか。本当に良太のためになるのか」
「それは……」
 麻世は一瞬言葉につまり、
「何ともいえないけど、それにしたって何もしないよりはさ」
 吐き出すようにいった。
「だからよ、よく考えよう。どう動いたら良太にとっていちばんいいのか。二人で、よく考えてから行動しようじゃないか。軽はずみなことをして、失敗するわけにはいかねえからよ」
 噛んで含めるように麟太郎はいう。
「そうだな。失敗するわけには、いかないからな。そうなってくると、まず情報を集めないとな……まず、良太の母親の直実に会わないと駄目だ」
 身を乗り出して麻世がそういったとき、玄関の扉を開く音が聞こえた。麟太郎と麻世が出入口を注視すると、嬉しそうな顔をした潤一が入ってきた。
「三社祭(さんじゃまつり)も終って一息ついて――また、麻世ちゃんの手料理を食べにきました。今夜のお菜(かず)は何なのかな」
 間延びした声で潤一はいった。
 何とも間の悪いやつだ。
 それに、ここでわざわざ三社祭を出す必要もまったくないのにと、麟太郎が何かをいおうと口を開きかけると、
「うるさい、能天気オヤジ!」
 麻世が声を張りあげて一喝した。

(つづく)



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)