連載
下町やぶさか診療所
第三章 怒る子供・後 池永 陽 You Ikenaga

「約束通り、噂の美女を連れてきていただいて、ありがとうございます、大先生」
 夏希の言葉に、きょとんとした表情を麻世は浮べる。
「いや、ここの夏希ママが麻世の評判を聞いて、一度話がしたいというので……」
「私の評判?」
「麻世さんを見た男連中が、可愛い可愛いっていうもんで、それで大先生に一度会わせてくださいと頼んだんです」
 夏希の目は麻世の顔を凝視している。
「ああ」
 と一言だけ麻世はいい、
「ヤンキーの沢木麻世です。よろしく」
 とドスの利いた声で答えた。
「麻世さんは、ヤンキーなんですか」
 夏希が驚いた声をあげた。
「つい、この間まで殴り合いの喧嘩ばかりしてた、正真正銘のヤンキーです」
「殴り合いって――そんなことしてたら折角の綺麗な顔が台なしに……」
 唖然とした表情を浮べる夏希に、
「顔なんて、くしゃけようが潰れようが、どうでもいいから。それより、確実に喧嘩に勝つほうが大事だから」
 何でもないことのように麻世はいった。
「そんな心にもないことを、麻世さん」
 夏希はたしなめるようにいった。
「心にもないことじゃないよ。私は本当にそう思ってるから。て、いうか。私はこの顔にかなりの迷惑をこうむってるから」
 妙なことを麻世が口にした。
「この顔のために、私は男からも女からも目をつけられて、あげくの果てに殴り合いの喧嘩。そんな毎日をずっと過してきて、いいかげん、うんざりしてることは確かだから」
 吐き出すようにいった。
「そんな、罰当たりなことを!」
 いいつつ、夏希はようやく、麻世が普通の思考の持主ではないことに気がつき始めたようだ。
「麻世さんはまだ若いから、自分の恵まれた状況に気がついてないだけ。もう少し、年を取れば……」
「年を取れば取るほど、女はそれだけ不細工になっていくだけ。私はそう思うけど」
 表情を変えずにいう麻世に、
「不細工にならない女もいると思うわ」
 幾分胸を張って夏希がいった。
「でも、そんな女の人。私、今まで一度も見たことがないけど」
 面倒臭そうに麻世はいう。
 そんな二人のやりとりを、麟太郎は複雑な思いで聞いていた。まったく言葉が噛み合わない。これでは水と油だ。そう思いながらも二人のやりとりは面白かった。しかし、そろそろ止めたほうが……。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)