連載
下町やぶさか診療所
第五章 幸せの手・後 池永 陽 You Ikenaga

 外の日差しは強そうだ。
 待合室の壁にかかっている、年代物の時計に目をやると三時十五分。
「本当にくるのか、その高史っていう純情男は。一緒に行くのが恥ずかしくって、こないんじゃないのか、じいさん」
 麟太郎の隣に腰をおろしている麻世が、ぼそっといった。
「くるさ。高史君が俺んところへきたのは、治療してもらいたかったんじゃねえ。自分の熱い思いを誰かに聞いてほしかったんだ。何でもいいから背中を押してほしかったんだよ。それぐらい、高史君は相手の女性に惚れているということだ。だから、くるさ」
 平然と麟太郎はいう。
「それにしても、約束の時間を十五分ほど過ぎてることになるけど」
「過ぎた時間は高史君の照れだ。心配しなくても、もうすぐ現れるはずだ」
 何でもないことのようにいう麟太郎の言葉通り、高史はそれからすぐに姿を見せた。
「すみません、遅くなってしまって」
 待合室に入ってくるなり、高史は膝につくほど頭を下げてから麻世の顔を見て、少したじろいだ様子を見せた。
「こいつが今日一緒に行ってくれる、俺の遠縁にあたる麻世だ。女性の立場から相手のあれこれをじっくり観察してくれるはずだ」
 簡単に紹介すると、
「すごく……」
 と高史は喉につまったような声をあげて、顔を赤らめた。
「綺麗だろ。で、高史君の思っている女性とどっちのほうが綺麗だろうかね」
 意地の悪い質問を麟太郎はする。
「それは、僕の好きな女性のほうが」
 と声をあげてから、
「すみません」
 高史はまた顔を赤くして頭を下げる。
「いいよ別に。私は綺麗でも何でもないから」
 あっけらかんという麻世に、
「でも雰囲気は麻世さんに、似ているような気がします」
 真面目な顔で高史はいった。
「雰囲気が麻世に似てるのか……」
 嫌な予感が麟太郎の胸を掠(かす)めた。
「じゃあ、とにかく行こう。そして、高史君の恋が成就するような策を考えよう」
 麟太郎はそういって先に立って歩き出す。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)