連載
下町やぶさか診療所
第五章 幸せの手・後 池永 陽 You Ikenaga

 浅草寺脇の五重塔の裏にあるベンチに麟太郎たちは腰をおろした。
 幸いベンチは日陰にあったが境内の鳩も暑いのは嫌なのか、麟太郎たちの足元には数羽が集まって餌を探している。
「麻世。ひょっとして、あの女性はお前の昔の仲間というか何というか……」
 いい辛そうに麟太郎がいった。
「そう。だから、普通の男には合わない。一言でいえばそういうことだよ」
 ちらっと麻世は高史を眺める。
「あの、僕にはどういうことなのか、さっぱり、わからないんだけど」
 おどおどした調子で高史はいう。
「つまり、私は、元ヤンキーだったという話」
 ずばっと麻世がいった。
「麻世さんが、ヤンキーですか……」
 呆気にとられた声を出す高史に、
「まあ、ここだけの話だけどよ」
 釘をさすことを麟太郎は忘れない。
「少なくとも半年ほど前までは、あいつは現役のヤンキーだったはず。それも武闘派のバリバリで、喧嘩(ゴロマキ)のときはいつも先頭に立っていた。幸い私とタイマン張ったことは一度もないけど」
 麻世はそういって、ぽつぽつと話し出した。
 女の名前は相原知沙――年は十九歳。
 都内の私立高校に通っていた三年のころからグレ始め、学校を卒業してからも定職にはつかず、高校のときの仲間たちとつるんで喧嘩と恐喝をくり返していたという。
 縄張りは上野駅界隈で、異名はメリケン知沙。いったん事があると、右手に鉄製のメリケンサックをはめて殴り合うことから、この名がついたという。
 その知沙の名前を聞かないようになったのが半年ほど前。何があったのかはわからないが、あの店でウェイトレスをやっているところを見ると、更生したのかもしれないと麻世はいった。
「その知沙のメリケンのせいで、何人かの人間が顎の骨を砕かれて病院送りになってるはずだよ……ちなみに、私の異名はボッケン麻世。剣術が得意だったから」
 じろりと麻世は高史を睨み、
「だから、あんたには合わない。悪いことはいわないから諦めたほうがいいよ」
 低すぎるほどの声でいった。
「あの人、相原知沙さんていうんですか」
 高史は視線を地面に落してぼそっといい、
「でも、今は更生してるんですよね」
 蚊の鳴くような声を出した。
「ちゃんと働いているところを見ると、そうかもしれないけど。いずれにしても、あんたとは別世界の人間だから、考え方から生き方まで合うはずがないから。向こう側の人間は、いろんな意味で汚れてるから」
 はっきりした口調でいう麻世に、
「汚れてる……」
 呟くようにいって高史は体を竦(すく)めた。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)