連載
下町やぶさか診療所
第六章 妻の復讐・前 池永 陽 You Ikenaga

 白い布で包まれた小さな塊。
 寝間の和箪笥(わだんす)の上にちょこんとのっているのは骨壺だ。
 四畳半の真中に足を崩して座った幸子は、その骨壺をじっと見る。骨壺の主は有村要(かなめ)、幸子の亭主である。
「さて、あんた。このなかの骨をどうしようかね」
 低い声で呟くようにいった。
「大川に投げこんでもいいし、そのへんの道端にでも、まきちらしてもいいし……いっそ、ごみの収集車に持っていってもらうという手もあるよね」
 これも呟くようにいってから、
「そうだ」
 と声を張りあげて幸子は腰をあげ、一階につづく狭い階段をおりて台所に行く。ポットから熱い湯を急須に入れて、手早くお茶を淹(い)れる。お茶を淹れた湯飲みを手に、幸子はゆっくりと階段をあがって寝間に戻り、元の位置に腰をおろす。
「こうやって」
 じろりと骨壺を睨みつける。
「お茶を飲みながら、骨壺の前であんたの悪口を死ぬまでいいつづけてもいいよね。羊羹か何かを食べながら、あんたの悪口をくどくどとね」
 そろそろと熱いお茶をすすりこむ。
「とにかく、確実にいえることは、あんたの骨はうちの墓には絶対に入れない。これだけはきめたことだから、覚悟しときな。それだけのことをやってきたんだから、文句はいえないよね」
 いったとたんに、涙が頬を伝うのがわかった。何の涙なのかわからなかった。悲しみではないはずだ。それでは憎しみなのか。人間は憎しみの感情でも涙を流すのか。これも、わからなかった。わからなかったが自分が泣いているのは確かだった。
 幸子は手にしていた湯飲みを、畳の上に叩きつけるように置いた。お茶が飛びちって、ささくれた畳を濡らした。
 むしょうに寒かった。
 寒さは足の先から徐々に這(は)いあがっていき、首のあたりですっと止まった。体は寒かったが、頭だけは熱かった。喉が渇いて仕方がなかった。幸子は湯飲みに半分ほど残っていたお茶を一気に飲んだ。
「チキショウ、チキショウ……」
 湯飲みを払いのけて、幸子は両手で畳を叩いた。何度も何度も叩いた。夢中になって叩いた。
 いつのまにか涙は止まっていた。
 体だけが、やっぱり寒かった。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)