連載
下町やぶさか診療所
第六章 妻の復讐・前 池永 陽 You Ikenaga

 カウンターの奥に戻る千賀子の後ろ姿を見ると、余分な贅肉(ぜいにく)はついていない。つまり、千賀子は痩せているということになる。更に面白くなかった。
 半平(はんぺん)を箸でつまみ、口に入れる。
 ゆっくりと舌の上で転がして、おでんの味を吟味する。
「ふうん」
 と幸子は小さく声をもらす。
 昆布と鰹のダシがしっかり利いてはいたが、取り立てていいたてるほどのものではない。プロならこれぐらいの味は当たり前。つまり、普通ということになる。もんじゃとおでん、料理は違っていても、これなら『ありむら』のほうが味は上。この勝負は自分の勝ちだ。あとは大根を食べてみて、味の染み具合をと考えていると――。
 カウンターのあちこちから、男たちが小出しに、おでんの注文を千賀子にしているのに気がついた。
「千賀ちゃん、千賀ちゃん」
 という男たちの声が響く。
 この声に幸子は憮然(ぶぜん)とする。
 要するに甘えてるだけじゃないか。
 そうは思うのだが男たちは嬉しげだ。
 ということは、要もこの男たちと同じような態度を取っていたということなのか。いずれにしても面白くないのは確かだった。
 幸子は三十分ほどで『つじ屋』を出た。
 おでんは半分ほど残した。
 幸子にできる唯一の抵抗だった。
 それを見た千賀子は「どうもすみません」と素直に頭を下げた。これがまた面白くなかった。店の外に出た幸子は大きな咳払いを、ひとつした。値段は確かに安かった。
 幸子は長命寺脇から急ぎ足で自宅に向かった。桜橋を駆けるようにして渡り、二十分ほどで自宅に戻った。
 要にいいたいことがあった。
 二階にあがり、和箪笥の上の骨壺を袋から出して剥き出しにした。その前に幸子は仁王立ちになった。
「話が違うじゃないか、あんた。確かに値段は安くて、女のほうも中年だったけど。様子がちっとばかし良すぎたじゃないか」
 いってから幸子は思わず周囲を見回した。
 これだと自分の容姿が相手に負けたことを公言しているようなものだ。こんなことを誰かに聞かれたら、恥ずかしくて外も歩けなくなる。が、当然のことに周囲に人がいるわけがない。
「おまけに、あの女は痩せてるじゃないか。あんたは、あの女の顔とスタイルに参っちまったのか、情けないねえ」
 こう怒鳴ってから、情けないのは自分のほうだと幸子は気がついた。わざわざ長命寺裏まで出かけ、女の容姿と店を値踏みして、おまけに、その鬱憤を死んだ亭主の骨壺の前でぶつけているのだ。情けないにきまっている。そうはわかっていても、憤りはなかなか収まらない。
 幸子はつと指を伸ばして、骨壺を両手でつかんだ。じっと睨みつけるように見てから、つかんだ骨壺を振り出した。まるで、シェイカーを振るバーテンダーのように。
 骨壺のなかで骨が音を立てていた。
 乾いた音だった。
 軽すぎる音だった。
 骨壺を振りながら、幸子はいつのまにか大粒の涙を流していた。
 幸子は泣きながら骨壺を振りつづけた。


(つづく)



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
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第二章 二人三脚・後
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第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)