連載
下町やぶさか診療所
第六章 妻の復讐・後 池永 陽 You Ikenaga

「これを千賀子さんに引き取ってもらおうと思って、今夜はここにきました」
 見る見るうちに千賀子の顔に怪訝な表情が浮びあがる。
「それは?」
 低すぎるほどの声で訊いた。
 幸子は風呂敷の結び目をほどく。
 真白な骨壺がなかから現れた。
「亭主だった、有村要の骨が入っています」
 一気にいって千賀子を睨みつけた。
「骨って、それは……」
 おろおろ声を千賀子はあげた。
「有村要は今から約一カ月ほど前、市場に行く途中に大型トラックと正面衝突して、この世を去りました」
 視線を落して幸子はいう。
「有村さん、亡くなられたんですか。私はてっきり計画がばれて、ここにくるのを奥さんから止められているとばかり。そうですか、有村さん、そんなことに」
 最後のほうは涙声になっていた。
「こんな状況になって、要の遺骨をうちの墓に入れることはできませんので、こうして千賀子さんに引き取ってもらうために持ってきました。そのほうが要も嬉しいでしょうし」
 最後の言葉を吐き出すようにして、幸子はいう。
「こんな状況っていうのは……」
 恐る恐るといった様子で千賀子が声を出した。
「何を今さら――こんな状況というのは要と千賀子さんの浮気のことですよ。そんな亭主は私はいりませんから、浮気相手の千賀子さんに引き取ってもらおうと。こうしてわざわざ持ってきたんですよ」
 勝ち誇ったように幸子はいう。
「それは――」
 叫ぶような声を千賀子があげた。
「私も座らせてもらって、いいですか」
 返事も待たずに厨房の隅から丸椅子を持ってきて、カウンターごしの幸子の前に腰をおろした。ふううっと大きな吐息を千賀子はひとつもらしてから、
「幸子さん、それは誤解です。私と有村さんは浮気なんかしていません」
 思いもよらない言葉を口にした。
「浮気してないって。じゃあ、要のケータイに入っていた、あんたの着信記録は何ですか。単なるお客に対してというには、あまりに数が多すぎるじゃないですか。男と女が毎日のように電話で話をするってことは、それだけ深い間柄であるという証拠のようなものじゃないんですか。何を今さら、ごまかすようなことを」
 一気にまくしたてた。心臓が飛び出すほど胸の鼓動が速かった。
「あれはすべて、お芝居です」
 低い声で千賀子はいった。
 一瞬、幸子は耳を疑った。しばらくは何をいわれたかわからなかった。頭のなかが真白になった。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
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第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)