連載
下町やぶさか診療所
第六章 妻の復讐・後 池永 陽 You Ikenaga

「芝居って、それはいったい……」
 ようやく喉につまった声をあげた。
 事のおこりは、要に対する幸子のあの態度だったという。
「もんじゃに対する、たったひとつの失言でこんな仕打ちはひどすぎる。いくら何でも、そろそろ許してくれてもいいのに、あいつは一切耳を貸してくれない。いったい俺はどうしたらいいんだろう」
 そんなことを愚痴っぽく何度も要は千賀子に話し、そしてあるとき、こんな提案をしてきたという。
「俺が誰かと浮気をしてるということにして、あいつにヤキモチを焼かせる。そして、あいつの気持を俺のほうに引っ張りこむ――そんな計画を思いついたんだけど、千賀ちゃん、これに協力してくれないか」
 そしてあの、ケータイの通話作戦になったと千賀子はいった。
「そんな子供っぽいことやめたほうがいいと何度もいったんですけど、有村さん、まったく聞く耳持たずで――最後には俺は幸子が大好きなんだ。あいつがいないと生きていけないんだと、駄々っ子のように……」
 考えてもみなかったことだった。
 それほど、あの仕打ちを要が気にしていたとは。幸子にしたら、ほどよいところで手を打って仲直りしようと考えていたのに。むろん、それまでは徹底的に逆らうつもりだったが。
「すみません。莫迦な計画に加担してしまって、本当にすみません」
 千賀子は立ちあがって思いきり頭を下げた。
 あの要がそんな手のこんだことを……幸子にしたら信じられないことだった。それに自分に対する要の思い。自分がいないと生きていけない。本当にそんなことを思っていたんだろうか。もし、それが本当だとしたら……。
 と考えてみて、幸子は首を左右に振った。
 まだ、不明な点が残っていた。
 なぜ千賀子は、それほど要に親身になったのか。これがわからなかった。要はどこにでもいる普通の中年男だが、千賀子は誰が見ても華があって綺麗だった。そんな千賀子が、ただの客である要に対して。
 単刀直入に、幸子がそれを千賀子に質(ただ)すと意外な答えが返ってきた。
「幸子さんはなじょしてそんなことを、私と有村さんは同郷のよしみだべ。だかん、つい親身になっただなし」
 ふいに千賀子の口調が変った。まるで幸子に聞かせるかのように。
 ようやくわかった。千賀子も要も福島の生まれで同県人なのだ。
「私も有村さんも福島原発のある、近くの町で育ったんです。むろん面識はなかったものの、大震災で思い出のなかのふるさとを失ったという、素朴な連帯感もありました。そんなことも重なって、つい……」
 申しわけなさそうに千賀子はいい、
「それに私も有村さんも、学歴は福島の中卒です。中卒の地方出身者の悲哀は、骨の髄までわかっていましたし」
 そういって千賀子は幸子に向かって深々と頭を下げた。千賀子はまだ立ったままだった。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
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第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)