連載
下町やぶさか診療所
第八章 麻世の決断・後(最終回) 池永 陽 You Ikenaga

 面倒臭い男だが、これが真野潤一という人間のやり方なのだからしようがない。
「そういうことか。そういうことなら、しかたがねえよな」
 麟太郎は軽くうなずき、
「しかし、お前もやっぱり下町の人間だな。何があろうが、かにがあろうが、一本の筋はきちんと通す。これでお前も立派な江戸っ子の端くれだ」
 励ますように、よく通る声でいう。
「来年の三社(さんじゃ)祭りでは、神輿(みこし)を担ぐことができるかなあ」
 潤一が軽口を飛ばした。ちょっと無理をしているようにも見えたが、こいつも少しは大人になったと麟太郎は思う。
「大丈夫だろうよ。もっとも、そいつは俺が決めることじゃねえから、任せとけとは、ちょっといえねえけどな」
 麟太郎も軽口で答える。
 二人は真直ぐ顔を見合せてから、
「とにかく、この難題をどうしたら乗り越えられるのか親父と相談したくって、麻世ちゃんのいないような時間帯を選んでやってきたんだけれど――」
 まず、潤一が口を開いた。
「ここんとこ、四六時中それを考えつづけてるんだが、いい案は何も浮ばねえ。やるといったら麻世は必ず実行に移すだろうから、それを説得するのは至難の業だ」
 麟太郎は強く頭を振る。
「親父の話では梅村を打ち殺すために、総合武術の道場にまた通い出して稽古をつんでるってことだし――母親の満代さんも、とても頼りになるような相手じゃないっていうし。これじゃあ、打つ手なしの、お手あげ状態だよな」
「満代さんも、以前はいい母親だったらしいが、俺が先日会ってきた限りでは何となく得体のしれねえ女――そんな状態だから、頼りにするのは無理だ」
「なら、いっそ」
 潤一が切羽つまった声を出した。
「問題の暴行事件。あれを警察に持ちこんで、司直の手にゆだねたらどうだろう。そうすれば、ちゃんとした結果は出るような気がするけれど」
「そんなことをすれば」
 麟太郎は言葉をそっと切ってから、
「麻世はここから姿を消して、二度と俺たちの前には現れねえだろうな。麻世には麻世の意地ってえのがあるだろうからよ」
 掠(かす)れた声で淡々といった。
「面倒な女の子ですね」
 独り言のように潤一がいった。
 そう、麻世は一筋縄ではいかない女なのだ。それも、潤一とは違って筋金入りの。だが、その面倒臭さも『やぶさか診療所』にきて、かなり薄れたようだったが、今回だけは駄目だ。麻世の生き死にが懸かった、根っこの部分の問題なのだ。簡単に解決する事柄ではなかった。
「なあ、潤一」
 麟太郎が真直ぐ潤一の顔を睨みつけた。
「もし、麻世が殺人を犯したら。そのときはお前、どうするんだ」
「もちろん、俺は彼女が出てくるのを待ちますよ。いつまでだって」
 即座に答えた。



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〈プロフィール〉
1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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第八章 麻世の決断・後(最終回)
第八章 麻世の決断・前
第七章 スキルス癌・後
第七章 スキルス癌・前
第六章 妻の復讐・後
第六章 妻の復讐・前
第五章 幸せの手・後
第五章 幸せの手・前
第四章 底の見えない川・後
第四章 底の見えない川・前
第三章 怒る子供・後
第三章 怒る子供・前
第二章 二人三脚・後
第二章 二人三脚・前
第一章 左手の傷(後)
第一章 左手の傷(前)