よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第一話(後編) 疑 惑・後

池永 陽You ikenaga

 麻世は台所で何やらつくっている。
「おおい麻世、今夜のお菜は何だ。ちゃんと食えるものか」
 食堂兼居間のテーブルから、麟太郎の大声が響く。
「じいさんたち男どもの大好きな、肉ジャガとかいう名前らしき料理だ」
 麻世のややこしい説明が台所から飛ぶ。
 肉ジャガといえば、田園の夏希の得意な料理でもある。さてそれを麻世がつくるとなると、どんな物が。
「それは嬉(うれ)しいな。それで、あとどれぐらいで、その肉ジャガとかいう物はできあがるんだ」
「あと二十分ぐらいだから、ごちゃごちゃいわずに、おとなしく待っててくれ。年寄りは、せっかちだといわれないように」
 有無をいわせぬ麻世の声に、麟太郎は口をつぐんでおとなしく待つことを決める。
 二十分ほどあと。
 麻世の手で味噌汁やら漬物やら佃煮やら――それにメイン料理の肉ジャガがテーブルの上に運ばれてきた。なぜか麻世は仏頂面ではあったけれど。
「つぶれた……だけど味のほうはまあまあだから、食べることはできると思う」
 蚊の鳴くような声でいった。
 確かに皿のなかの肉ジャガは、ジャガ芋がつぶれてぐちゃぐちゃ状態だった。
「そうか、つぶれたけれど、味はまあまあか」
 嬉しそうに麟太郎は呟き、つぶれたジャガ芋を何とか箸ですくって口のなかにいれた。ゆっくりと噛(か)みしめた。緊張した表情で、麻世がその様子を見ている。
「ふむ」と麟太郎は短く声を出してから、
「麻世のいう通り、形はぐちゃぐちゃだが、味のほうはまあまあいける」
 本当だった。醤油と砂糖の加減が絶妙で、肉汁も素材に塩梅よく染みこんでいる。少しではあるけれど、麻世の料理の腕が上達したという証のように思えた。
「本当か、じいさん。今いったことは」
 麻世がはしゃいだような声をあげた。
「俺が嘘やお世辞をいわねえのは、お前が一番よく知ってるだろう。しかし」
 といって麻世の顔を睨むように見た。
「箸で食べるのは、くたびれる。ここはやっぱり、スプーンだな」
 いってから顔中で笑った。
「そうか、そうだな。じゃあ、スプーン持ってくるから」
 台所にスプーンを取りに走り、麻世も麟太郎と一緒に食事を始める。しばらく食べることに専念したあと、
「食事が終ったら、お前に少し話がある」
 麟太郎は真面目な口調で麻世にいった。
「話か。そうだろうな。そろそろ、そういうことになると思っていた」
 二人は無言で箸を使い、残りの夕食を食べ終えた。
「話というのは、あの事件のことだ」
 こう前置きして、麟太郎は潤一と二人で梅村に会って引導を渡してきたことから、母親の満代の様子を詳細に麻世に話して聞かせた。麻世は麟太郎が話し終えるまで一言も口を挟まず、無言のまま耳を傾けた。
「そしてな。今日の昼に、懇意にしていた浅草署の刑事から電話があって、検察のほうの感触から満代さんの不起訴がほぼ決定したようだと連絡があった」
 事実だった。
「不起訴……」
 ぽつりと麻世は口にする。
「そうだ。精神科医の治療を受け、心の病いが治ればお母さんは出てくることになる。それまでに、どれぐらいの時間がかかるのかはわからないが、そういうことだ。つまり、今回の事件はただ一点のみを除いてすべて落着したことになる。その一点というのは」
 ぷつりと麟太郎は言葉を切る。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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