よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(前編) 女を見たら・前

池永 陽You ikenaga

 台所で麻世が何やらつくっている。
 夕食の仕度なのだが、どうやら献立は肉じゃがらしい。以前、麻世のつくった肉じゃがを、形は崩れているが味はまあまあだと誉(ほ)めたのに気分をよくしたらしく、近頃肉じゃがの出る頻度が多くなっている。
 漬物やら佃煮(つくだに)やら味噌汁(みそしる)やらを、麻世がテーブルに並べ出した。肉じゃがはまだ出てこない。最後に運んでくるようだ。
「私にしたら、まあまあの肉じゃがだ」
 麟太郎の前に肉じゃがの入った皿が、無雑作に置かれ、自分の分も持ってくると麻世もテーブルにつく。
「なるほど、まあまあだ」
 麟太郎は機嫌よく答える。
 つぶれてはいたが、前のようにぐちゃぐちゃ状態ではない。かろうじて形は維持している。そうなるとあとは味のほうだが。麟太郎は箸でつまんで、ゆっくりと口に入れ咀嚼(そしゃく)する。けっこううまかった。
「腕をあげたな、麻世。あとは、どう形を維持するかだけだな」
 満足そうにいう麟太郎の顔を見て、麻世の表情がぱっと輝く。
「そうだろ。ひょっとしたら私には、料理の才能があるかもしれないな」
 麻世の軽口に「それはない」と麟太郎がいいかけたところで、玄関の扉が開く音が聞こえた。多分、潤一(じゅんいち)だ。
「おっ、いいところへきたようだな。それなら俺も、ご相伴にあずかろうかな」
 といって台所に向かった。
 待っていても麻世が料理を運んでくれないことは、潤一もよく知っている。自分のことは自分でやるのがいちばんだ。
 料理をテーブルに並べ終えて、
「いただきます」
 と両手を合せて潤一は箸を取る。
 何とかつまんで口に入れる。
 麻世が潤一の様子を凝視している。
「うまいな、これは」
 顔を綻ばせていった。
 麻世がわずかにうなずく。
「ただ、夏希(なつき)さんのつくる肉じゃがに較(くら)べると――」
 余計な一言を口にした。
「較べると、何だよ」
 ドスの利いた声を麻世が出した。
「あっ、つまり何というか、若い子の味かなと、ふと思ったり……」
 しどろもどろにいった。
 やはり麻世と潤一は相性が悪い。
 一事が万事、この調子で話がなかなか噛み合わない。この二人、前世で敵(かたき)同士でもあったのかと麟太郎はつくづく思う。
「何だよ、その若い子の味というのは」
 麻世の追及が、さらにつづく。
「それはつまり、年寄りがつくる味、中年がつくる味、それに若い人がつくる味は微妙に違ってくるのが当然のことで、それぞれが異ったうまさを持っているというか、それは無数にある一流レストランの味が、素材は同じでも」
 といったところで、麻世から待ったがかかった。
「もういいよ。私は理屈っぽいのが嫌いだから。簡単明瞭なのが好きだから。おじさんとはやっぱり、波長が合わないから、時間の無駄だと思う」
 ばっさりと斬りすてた。
 とたんに潤一がしょげた。
 無言での食事がつづいた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number