よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(前編) 女を見たら・前

池永 陽You ikenaga

「ところで麻世。俺はお前に訊きたいことがあるんだがよ」
 食事を終え、お茶をひとくち飲んでから麟太郎が声をあげた。あの八重子から聞いた件だ。あれを麻世に質(ただ)してみるつもりだった。
 麻世はこの診療所に転がりこんできたときから、待合室に座りこんでいることがよくあった。麻世にその理由を質すと、
「みんなの話を聞いてるだけだよ……暇だから」
 こんな答えが返ってきた。
 さらに、みんなの話は面白いかと訊いてみると、
「面白いよ、そして悲しいよ」
 と麻世はいった。
 麻世はこの診療所を通して、世の中のあれこれに興味を抱きはじめた――麟太郎はこのときそう理解し、とにかく頑張れと麻世を励ました。その麻世に訊けば。
「待合室に横井さんという五十代の男性と、四十歳ほどの佐原さんという女性がよくきているはずなんだが、麻世はその二人を見たことがあるか」
 名前も出して率直に訊いた。
「あるよ。何度も見てるから名前も知ってるよ」
 即答だった。
「じゃあ、その二人なんだが」
 麟太郎は少し口ごもってから、
「どんな関係に、麻世には見えた?」
 恐る恐る口に出した。
「あの二人は恋人同士だよ。よく見てれば、すぐにわかるよ」
 素気なく答える麻世の判断は、八重子と同じだった。
「横井さんと佐原さんが恋人同士って、それじゃあ二人は不倫をしてるのか」
 潤一が口を挟んできた。潤一も二人のことはよく知っているはずだ。
「お前も医者の端くれだから、よくわかってるだろうが、このことは口外無用だ。肝に銘じておけよ」
 釘をさすことを麟太郎は忘れない。
「そんなことはわかってる。しかし、あの横井さんと佐原さんが……横井さんの奥さんにばれたら大変なことになるな。横井さんは入り婿だし、奥さんは甘やかされて育った一人娘だし。それで親父はいったいこれを、どうするつもりなんだ」
 麟太郎のお節介好きは、潤一もよく知っている。
「こればっかりは何ともできねえよ。周りに知れる前に別れたほうがいいって、忠告するぐらいが関の山でよ。まったく男と女というのは面倒な生き物だ」
 溜息まじりに口にすると、潤一がちらりと麻世の顔を見るのがわかった。そしてすぐに視線を外して、うつむいた。今までイケメンぶりを発揮してきた潤一が、麻世の前に出るとこの有様。正真正銘の中学生状態に戻っている。
「男と女というより」
 ふいに麻世が声をあげた。
「ろくでなしの男が多すぎるんだよ。まったく男っていうやつは」
 吐きすてるようにいった。
「あっ、麻世ちゃん。ろくでなしの男が多いのはそうだろうけど、なかにはちゃんとした男もね」
 また余計なことを潤一が口にした。こういうときは黙って時間が過ぎるのを待っていればいいものを。案の定、その言葉が終ったとたん、麻世がじろりと潤一を睨んできた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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