よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(前編) 女を見たら・前

池永 陽You ikenaga

 三人の患者を手際よくすませ、いちばん最後に恭子が診察室に入ってきた。
 八重子がいうように顔色が悪かった。
 おずおずと麟太郎の前のイスに座った。
「今日はどうしました。また、偏頭痛がひどくなったのかな」
 できる限り優しい言葉で麟太郎は訊く。
「いえ、そういうことでは」
 と恭子はいってから、
「そういえば、いつもの偏頭痛が急にひどくなって。でも、それだけじゃないといいますか」
 つじつまの合わないことを口にした。
「恭子さん。まず深呼吸しましょうかね。そうすれば、心のほうもどんどん落ちついてくるはずだから」
 麟太郎の言葉に従い、恭子は何度も深呼吸をくり返す。その様子を目の端に置きながら、ちらっと八重子のほうを見ると、早く喋(しゃべ)れというように顎をしゃくっている。
「なら、心が落ちついたところで俺のほうから恭子さんに質問をするけど、いいかな。大丈夫かな」
 遠慮ぎみに麟太郎は口に出す。
「はい、それはもう大丈夫ですけど。大先生は私にいったい何を」
 怪訝そうな目を向けてきた。
 その視線を避けながら八重子を見ると、両目が吊(つ)りあがっているのがわかった。麟太郎は慌てて姿勢を正す。
「間違ってたら謝るけど。恭子さんはひょっとして、笹屋の横井さんとつきあってるというか深い関係にあるというか。そういったことで悩んでいるというか」
 思いきって、まずこれを質してみた。
 とたんに恭子の悪かった顔色が、さらに悪くなった。
「どうして、それを」
 叫ぶような声をあげた。
「それはまあ、ちょっと待合室にいる二人の姿を見れば、そんな雰囲気がな。俺だってそれぐらいの男女の機微はわかるというか、察しがつくというか」
 告げ口されたように聞こえるとまずいと思い、八重子の名前はあえて出さなかったが、これでは信憑性(しんぴょうせい)に欠けるかもしれない気がして、
「それに、うちの麻世がよ」
 とつけ加えた。
「うちの麻世は待合室で座っているのが癖のようなものなんだけど。その麻世が、恭子さんと横井さんは恋人同士に違いないっていっていたから、それでね」
「麻世さんて、大先生の親戚筋の預かりものという、あの綺麗(きれい)な子ですよね」
 恭子は独り言のようにいい、
「大先生や麻世さんに気づかれたということは、他の人にも気づかれているということも考えられますね」
 力なく口にした。
「麻世という娘は余人と違って勘の鋭い子でな。だから、他の人もといわれると、まず大丈夫だろうとしかいえねえが、まあ、でも何ともいえねえというのが正直なところだな。そんなことより、もっと大事な話があるんだけどね」
 麟太郎は真直(まっす)ぐ恭子の顔を見るが、恭子は視線を床に落して伏目がちだ。
「恭子さん。あんた、ひょっとして妊娠してるんじゃねえのかな。横井さんの子供を」
 はっきりした口調でいった。
 恭子の視線が上に動いた。
 麟太郎の顔をまともに見た。
 沈黙がしばらくつづき、
「はい、妊娠しています。もうすぐ四カ月になろうとしています」
 はっきりした口調で恭子はいった。
 大きな目が潤んでいた。
 大粒の涙が頬を伝った。
 両肩をしゃくりあげた。
「私、いったいどうしたら……」
 絞り出すような声を恭子はあげた。

(つづく)

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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