よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(後編) 女を見たら・後

池永 陽You ikenaga

「いずれにしても」
 麟太郎は声を張りあげた。
「恭子さんが横井さんに会って話をするまで、俺たちにできることは何もねえ。かといって、恭子さんが横井さんに会ってその本心を確かめたとしても、やっぱりできることはほとんどねえ。わずかにできることは、常に恭子さんと赤ん坊の側に立ってやるということだ。できる限り優しく、できる限り恭子さんと赤ん坊に寄り添うような思いでな。麻世の言葉を借りれば悔しくて悔しくて仕方がねえが、これが俺たちの限界だな」
 いい終えて麟太郎は洟(はな)をちゅんとすすり、
「何だか偉そうなことをいってしまったな――ところで潤一、お前いやにおとなしいが、今日は飯のお代りはいいのか」
 話を潤一に振った。
「何だかお代りをする雰囲気じゃないから、やめておいたほうが無難なような気がしてさ」
 潤一がきまり悪そうにいうと、とたんに麻世が吼(ほ)えた。
「食べたかったら、イジイジしないで食べればいいんだよ。まったくおじさんは優しいだけというか何というか、男としては軟弱そのものの性格だから」
「あっ、俺は決して軟弱というんじゃなくて、ただ単に波風を立てないようにしているというか、大人の分別というか、それが軟弱に見えてしまうというか――」
 潤一が言葉を並べていると、
「訳のわからない理屈をこねてないで、さっさとお代りをしに行ったらどうなんだ。まったく面倒臭いおじさんだな」
 ばっさりと麻世に斬りすてられた。

「恭子さん、きてますよ」
 と麟太郎が八重子から耳打ちされたのは、前回から四日が過ぎた月曜日の夕方だった。
「それはよかった。ということは、産科に行って診てもらってきたということだよな」
 顔を綻ばせる麟太郎に、
「多分そうだとは思いますが、ひとつ問題があるような」
 気になることを八重子はいった。
「一段落したら、ちょっと待合室を覗(のぞ)いてみてください。一目瞭然ですから、大先生」
 不審げな表情を浮べる麟太郎に、八重子は首を左右に振りながら答える。
 麟太郎は患者を一人すませてから、すぐに待合室を覗きに立った。いつものように恭子はいちばん奥の長イスに座っていたが、その隣にはなんと、麻世がいた。ううんと唸(うな)りながら麟太郎は診察室に戻り、
「あいつは一体、何の話を恭子さんにしてるんだろう」
 八重子に疑念をぶつける。
「さあ、何でしょうか、私にはさっぱり見当もつきかねます」
 困ったように八重子は首を横にふる。
「それから、順番はいちばん最後でいいとおっしゃっていましたと、さっき受付の知(とも)ちゃんから伝言がありました」
 八重子はそういって、次の患者を診察室に招き入れた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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