よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(後編) 女を見たら・後

池永 陽You ikenaga

「俺が立会人か。そういうことなら、喜んで引き受けるよ。俺たちはいつでも恭子さんというか、お腹の子供というか、二人の味方だからよ。なあ、八重さん」
 麟太郎は八重子に声をかける。
 すぐに「はい」という返事が聞こえ、八重子の笑い顔を目の端がとらえた。
「ところで俺は、恭子さんにひとつ教えてほしいことがあるんだがよ」
 少し困った顔をして麟太郎は恭子を見た。
「さっき待合室で恭子さんはうちの麻世と隣り合って座っていたけど、いったい麻世はどんな話を恭子さんにしたんだろうか」
 単刀直入に麟太郎は訊いた。
「それは……」
 恭子はちょっといい淀(よど)んでから、
「大先生も知ってらっしゃる、麻世さんが受けた、あの忌しい事件です。あのあと麻世さんも、子供ができてるんじゃないかと夜も眠れない思いだったと」
 低すぎるほどの声でいった。
 麟太郎の胸が、ざわっと騒いだ。
 あの事件を麻世が恭子に話した。
 いちばん忘れたい、あの事件を。
「麻世さんの場合はいちばん嫌な男が相手だったけど、私の場合はいちばん好きな人が相手だったから……と麻世さんは私にいいました。そこのところが根本的に違うと。私はそれを聞いて」
 恭子はふいに口を閉ざしてから、
「嫌な人間です、私は……世の中には下には下がいる。麻世さんに較(くら)べて私は幸せ者、落ちこんでいたら罰があたる。そんな気持になりました。本当に嫌な人間です、私は」
 消え入りそうな声でいった。
「恭子さんは嫌な人間じゃねえよ。麻世からそんな話を聞けば誰だってそう思う。そう思ってもらいたくて麻世は恭子さんに、あの忌しい事件を話したんだと思うよ。あいつはそういう娘なんだ」
 掠れた声で麟太郎はいった。
「あんなに綺麗(きれい)で可愛いのに、あんな悲惨な事件にあって、本当に何といったらいいのか」
 目を伏せながらいう恭子に、
「何でも過ぎるっていうのは、よくねえのかもしれねえな。余分な摩擦が多くなってよ。あいつは可愛すぎるからよ」
 麟太郎は大きな吐息をもらした。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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