よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二話(後編) 女を見たら・後

池永 陽You ikenaga

 朝から麟太郎は落ちつかなかった。
 笹屋の横井には昨夜電話を入れ、夕方の五時半に診療所のほうにきてもらうことになっていた。
「なあ、八重さん。いったいどんな結果になるんだろうな。横井さんは何と答えるんだろうな」
 昼休みにこんな質問を八重に投げかけると、
「わかりません、私には男の人の気持は。男の人とは、あまり縁のない生活を送ってきましたから」
 バツイチの八重子はこういい、
「でも、横井さんが子供を堕ろせと迫ろうが、恭子さんと一緒になろうと決心しようが、一波乱あることは確かです。だから私は、いっそ……」
 口を少し引き結んだ。
「いっそ、何だい」
 たたみかけるように麟太郎は訊く。
「横井さんがどう答えようと、恭子さんは一人で子供を産んで、どこか知らない町に行って親子二人で静かに暮すのがいちばんいいような気がします」
 八重子はゆっくりとこういった。
「なるほどなあ、どこか知らない町に行って親子二人で静かに暮すか。そうだな、よく考えてみれば、それが最良の答えかもしれねえなあ」
 麟太郎は太い腕をくむ。
「女は――」
 八重子は睨むように宙を見据えてから、
「亭主なんかいなくても子供さえいれば、夢を持って淋しくない人生を送ることができます。幸い、シングルマザーが珍しくない世の中になっていますし、恭子さんにはちゃんとした仕事もありますから」
 こんなことをいって話を締め括った。
 八重子は一人暮しだった。結婚して五年で別れた亭主との間に子供はいなかった。
 最後の患者の診察が五時前に終り、麟太郎は診察室のイスに座りこんで約束の時間がくるのをじっと待つ。傍らにはやはり八重子が立っていて、そして少し前に学校から帰ってきた麻世もいた。
「麻世、お前。どんな結果が出ても暴れるんじゃねえぞ」
 いちおう釘だけはさしておく。
「暴れないよ。私も少しは大人になってるから。それに」
 麻世はちらっと八重子の顔を見る。
「どこか知らない町に行って、親子二人で静かに暮すという八重子さんの意見に私も賛成だよ。女は男なんかいなくても、何かの心の拠(よ)り所さえあれば、きちんと生きていけるはずだから」
 強い口調でいった。
「そうだな、そういうことなんだろうな。とにかく時間がきたら俺は待合室に行って恭子さんと二人で横井さんの話を聞く。話の内容はあとで二人にきちんと報告するから」
 麟太郎が断りを入れると、
「報告はいらないよ。診察室のドアを少し開けて耳を澄ませば、待合室の会話はちゃんと聞こえてくるから」
 麻世が即座に反応した。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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