よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第三話(前編) カレーの味・前

池永 陽You ikenaga

「麻世さんというのは、大先生の親類筋の娘さんで今、一緒に暮しているという。私も診療所で数度見たことがありますが、相当な美形でしたね」
 伸之は顔を想いうかべるように、天井に視線を向けていった。
「そうだよな。世間の人は麻世のことを相当な美形だというが、俺には単なる幼な顔にしか見えねえ――ところが近頃、こいつは、ここの夏希ママのように正統な美形ではないかもしれねえが、可愛いことは可愛い。それは認めてやらなければと思って、じっくりと見てみたら、けっこう可愛く感じて。それで今は一緒に歩いてるときなんぞは、得意げな思いでいい気持になっているんだが。これって、井上さんと頼子さんの関係に似てるんじゃねえかな」
 顔を覗きこむようにして見てきた。
「確かに似てますねえ――もっともうちの頼子と麻世さんを較べたら、少しうちのほうが落ちますけど」
 伸之は、もごもごした口調でいった。
 とたんに麟太郎は笑い出し、
「おまけに、うちの麻世も飛びっきりの臍曲りときている。こんなところも、井上さんところの頼子さんとな」
 面白そうにいった。
「麻世さんは飛びっきりの臍曲りですか。となるともう、うちの頼子にそっくりじゃないですか。何とか、私のような気弱で優しい男を探してやらないと」
 真剣な口調で伸之はいった。
「気弱で優しい男なあ……ふんふん」
 麟太郎は楽しそうに、リズムを取るようにいった。
「その麻世さん。おそらく社会に出たら相当な働き者になりますよ。さっきもいったように、うちの頼子がそうでしたから」
「麻世が働き者って、あの臍曲りが……ひょっとしたら、そうなる可能性もないことはないともいえるが」
 ややこしいいい方をする麟太郎に、
「畳店をやっているときはむろん、畳店をたたんだあとも頼子はよく働きました。お父さんは心臓に爆弾を抱えているから、今度は私が外に出て養ってやるからと、弁当屋の惣菜づくりと深夜の清掃仕事を両方引受けて。なりふり構わずに働いてくれました。その結果、あんなことに……」
 伸之の鼻の奥が熱くなった。
 歯を食いしばって涙だけは我慢した。
「そうか、頼子さんはなりふり構わない働き者だったか、なりふり構わない……」
 麟太郎は輪唱するようにいい、それから二人は押し黙った。
「ところで、さっきも催促したんだが、その頼子さんの大好きなカレーの話がまだ出てこないんだがよ、それは一体どうなってるのかな」
 しばらくして麟太郎が、ちょっとおどけた声をあげた。
「あっ、すっかり忘れていました――これがまた、少し妙な話で。そうそう、この話にはさっきの、キッチン・タマイも絡んできますから」
 洟(はな)をちゅんとすすって、伸之は麟太郎の顔を凝視した。

(つづく)

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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