よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第三話(後編) カレーの味・後

池永 陽You ikenaga

 五十年近く前のことだった。
 歌声喫茶で知り合った伸之と頼子は結婚を前提にしてつきあうようになったものの、二人の性格はまるで正反対だった。
 食べるものにしても伸之は薄味が好きだったが、頼子は濃い味つけが好きだった。映画や歌にしても頼子は派手なものが好きで、伸之はしっとりとした、おとなしいものが好きだった。要するに伸之は静で頼子は動――何かにつけて好みが真っ向から対立した。
 惚(ほ)れた弱みで、その度に伸之が折れて事を丸く収めたが、あるとき、その我慢が限度に達した。
 日曜日の午後に会って、二人は遊園地がいいということで『浅草花やしき』に行った。浅草生まれの伸之には馴染(なじ)みの場所だったが、頼子は初めてだった。
 ジェットコースターに乗ったあと、伸之の顔を真直ぐ見て頼子がこんなことをいった。
「ここはおとなしすぎて、私には合わない」
 伸之の胸がぎりっと軋(きし)んだ。
 ここのゆったりとした乗物が、伸之は大好きだった。子供のころから馴染んできた場所で、それだけに愛着も強かった。
「俺はこれぐらいが、いちばんいいと思ってるけど」
 初めて頼子に逆らった。
 胸が早鐘を打つように鳴り響いていた。
 顔色も変っていたはずだ。
「あなたにはそうでも、私には物足りない。本当にそう感じるんだから、仕方がないじゃない。私は嘘(うそ)が嫌いだし」
 仏頂面で頼子がいった。
 何か気に入らないことがあると頼子はすぐにこの顔になるが、今日はこれに怒気が混じっていた。
「でもここは、俺の故里(ふるさと)のようなもので、だから……」
 といってから伸之は口をつぐんだ。
 これ以上自説を展開すれば、本当の喧嘩になる。そうなると、頼子を失うことになるかもしれない。それが怖かった。性格は正反対だが、頼子には頼子のいいところがあり、そして何よりも伸之は頼子が大好きだった。が、このとき――。
「大好きなだけで、結婚を望んでもいいのだろうか」
 こんな言葉が胸をよぎった。
 一瞬表情が硬くなるのを覚えたが、伸之は慌ててそれを振り払う。何とか顔つきを元に戻して愛想笑いを浮べる。
「じゃあ、ここはそろそろ出て、ちょっと早いけど夕食にでも行こうか。この近所にいい店があるから」
「いい、お店って」
 すぐに頼子が声をあげた。
「町の洋食屋さんなんだけど、俺はここのカレーが大好きで」
「カレーなら私も大好き。よし、行こう、行こう」
 男の子のような口調で頼子はいい、何度もうなずいた。
 二十分後、二人はキッチン・タマイの奥の席に向かい合って座っていた。二人とも頼んだのは、この店特製のカレーライスだ。
 しばらくして運ばれてきたカレーは、皿の上に飯は盛られていたが、スープは別の器に入れられたものだった。そのスープを飯の上にかけ回す伸之に、
「へえっ、オシャレじゃない」
 嬉(うれ)しそうに頼子はいって、すぐに自分も同じようにする。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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