よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(前編) 花と竜・前

池永 陽You ikenaga

「いくつ、名前はなんていうの」
 麟太郎が声をかけるより先に、麻世が口を開いた。
「小学三年生、名前は」
 といって、少女は屋台からぶらさがっている灯(あか)りの入った、赤い提灯(ちょうちん)を小さな手で指差した。提灯には黒い文字で『おでん・美代子(みよこ)』とあった。
「そうか、美代ちゃんていうんだ。いい名前だね」
 笑いながらいう麻世に、
「うん」
 と美代子という少女は大きくうなずく。
「じゃあ、美代ちゃん」
 と、麟太郎が声を出した。
「おでんを二皿、見つくろって持ってきてもらえるかな」
「わかった」
 子供らしく答えて、ふわっと笑った。何とも可愛い笑顔だった。健気(けなげ)という言葉が、すぐに麟太郎の脳裏に浮びあがった。昭和生まれの麟太郎には、眩(まぶ)しすぎる言葉だった。
「じいさん、酒は頼まなくていいのか」
 美代子の後ろ姿を見送る麟太郎に、麻世が怪訝(けげん)そうな表情を向けた。
「そりゃあ、麻世、おめえ。あんな小さな子に酒なんぞ頼めるわけがねえだろう。申しわけがなくてよ」
 ずるっと洟(はな)をすすった。
「なんだ、じいさん。泣いてるのか」
 ぼそっと麻世がいう。
「泣いちゃあいねえが、何かこう胸の真中あたりがきゅっとよ。年のせいか、小さな子供の一生懸命な姿を見るとよ、そんな気持が胸のなかによ」
 つかえつかえ、麟太郎はいった。
「年のせいじゃないよ。優しいんだよ、じいさんは。莫迦がつくぐらい、じいさんは優しいんだよ」
「そうか、俺は莫迦がつくぐれえ、優しいか。そりゃあ、いってえ、いいのか悪いのか。よくわからねえがよ」
 麻世の言葉に麟太郎は困ったような顔で答える。
「そういう莫迦が近頃少なくなったから。私は断然いいと思うよ。現に私も、そんなじいさんに助けられてるんだからさ」
 幾分照れたような口調で麻世はいった。
「そいつは、有難えことだな」
 麟太郎も照れ隠しのようにいい、慌てて視線を屋台のなかに向けると女店主がこちらのほうを見ていて目が合った。会釈をしてきたので麟太郎も会釈を返す。
「綺麗な人だね」
 鍋にダシ汁を加える様子を見ながら麻世がいい、麟太郎も素直にうなずく。
 確かに女は美しかった。
 両の目は切れ長で大きく、鼻筋もすっと通っていて、その下には小さくもなく大きくもない形のいい唇――まさに正統派の美人顔そのものだった。凜(りん)としていた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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