よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

 丸木ホールの駐車場に行くと、屋台前はすでに客で埋まっていた。時間は七時半を少し回ったところだ。
 麟太郎と麻世は先日と同じように、後ろの縁台に腰をかける。すぐに美代子(みよこ)がやってきて「いらっしゃいませ、何にしますか」と声をかけてきた。
「じゃあ、おでんをふた皿、適当にみつくろって持ってきてもらえるかな」
 麟太郎はできる限り優しく声をかけ、そっと美代子の右手を両手で握りこんだ。冷たかった。凍えた手だった。
「美代ちゃんの手は冷たいねえ。洗い物をしてたのかな」
「うん。ずっと洗い物してた」
 麟太郎の問いに美代子は素直に答え、
「すぐに持ってきます」
 といい頭をぺこりと下げて屋台のほうに戻っていった。
「やっぱり、今夜もバケツのなかで器を洗わせているんだ」
 麻世が低い声を出した。
「そうだな、これは問題だな。何はともあれ、きちんといってやったほうがいいなあ。これじゃあ、あの子がかわいそうすぎる。あんなに小さいのに、文句もいわずによ」
 憮然(ぶぜん)とした面持ちで麟太郎はいう。
 しばらくすると、美雪が両手でおでんの入った皿を持ってやってきた。
「すみません、遅くなってしまって。ちょっと忙しすぎて、身動きが取れなかったものですから」
 弁解がましく美雪はいって、麟太郎と麻世におでんの皿を手渡した。
「それはいいとしてよ。俺は美雪さんにちょっと話があるんだが、時間は大丈夫かな」
 掠れた声で麟太郎はいった。
「少しぐらいなら」
 美雪は屋台のほうをちらっと見てから、こくっとうなずいた。
「あんた、診療所のほうにくるかもしれねえと先日いっていたのに、まったく顔を見せねえが、あれはいってえどういう料簡(りょうけん)なんだ。くるかもしれねえってことは、どこかが悪いってことなんだろう。医者ってえのは、そんな話を耳にしたら、居ても立ってもいられなくなる人種なんだよ。俺たちの頭の真中には常に、手遅れになったらという言葉が躍ってるんだよ」
 叱るような口調でいった。
「はい、すみません」
 美雪は素直に頭を下げた。
「それとも、よほど怖い病気なのか。結果を知るのが怖くて診療所にこられねえのか。それならそれで困ったもんだけど、気持だけは理解できるがよ」
「いえ、そういう理由ではありません。そんな怖さは、とうにふっ切れてますから。そんなこととは別の……」
 そんなことは、ふっ切れていると美雪はきっぱりいった。
「じゃあ、いってえ何だい。顔を見せねえ理由っていうのは」
 たたみかけるようにいうと、
「それは……」
 美雪は口を引き結んで、うつむいた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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