よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「話すのが嫌なら、別の質問をしよう」
 じろりと麟太郎は美雪を睨(にら)みつけた。
「この寒空のなか。あんたは小さな子供に凍(い)てついた水のなかで食器洗いをさせてるようだが、あれはいってえ何だ。児童虐待そのものの所業じゃねえか。大体夜の十一時過ぎまで小学生を働かせるとは何事だ。ちゃんとした親のすることじゃねえだろうが」
 麟太郎の言葉が段々荒っぽくなってきた。
「虐待じゃないです、あれは」
 疳高(かんだか)い声を美雪があげた。
「虐待じゃなかったら、いってえ何だ」
「あれは、修行です」
 妙な言葉を美雪は口走った。
「修行――」
 思わず口に出してから、麟太郎は美雪の顔をまじまじと見つめた。
 そのとき怒号が響いた。
 屋台のほうだ。
 男が何かを叫んでいた。
「美雪はどこだ。出てこいすぐに」
 屈強な男だった。上背もあったが、体型もがっしりとして、いかにも頑丈そうな男だった。髪は坊主頭に近く、鋭い目つきで革ジャンをはおっていた。年は美雪と同じ、三十過ぎほどに見えた。
「西島(にしじま)っ!」
 うめくように美雪がいった。どうやら西島というのは男の姓のようだ。
「いくら逃げたって無駄だ。てめえをここいらで見たという話を仕入れて。ちょっと探し回ったらドンピシャリだ。ヤクザの情報網をなめるんじゃねえぞ」
 西島という男がまた叫んだ。
「そんなに怒鳴らなくても、私はちゃんとここにいるよ」
 美雪は麟太郎に頭を下げ「すみません」と呟くようにいって屋台に向かった。
「これでも客商売なんだから、大きな声を出さないでよ」
 美雪は西島に近づき、すぐ前に立った。
「てめえ、よくも俺の前から逃げ出しやがったな」
 西島の平手打ちが美雪の頬に飛んだ。
 ぐらっとよろけたが、美雪は声もあげずに踏んばって男を睨みつけた。
「大した根性だな、美雪」
 西島は薄笑いを浮べ、
「いいか、みんな聞きやがれ。この女は正真正銘俺の女房だ。三カ月ほど前に俺は刑務所から出てきたばかりだが、出所が近いのを知ったこの女は俺が戻ってくる前に、それまでいたアパートから姿を消しやがった。その俺の女房のつくったおでんを、おめえたちは食ってるわけだ。俺の大事な女房のな」
 西島は客をぐるりと睨(ね)め回した。
「どうだ、うめえか。俺の女房のおでんはよう」
 どうやら西島は客を威(おど)しつけて、美雪を孤立させる魂胆のようだ。
「ついでにいえば、俺は前科三犯のヤクザで、この美雪という女は半グレあがりの札つき女だということだ。どうだ、そんな女のつくったおでんはうめえか。ええっ、鼻の下を伸ばした、おっさんよ。うめえか、てめえはよ」
 睨みつけられた五十代ぐらいの男が、慌てて首を横に振った。顔に浮んでいるのは怯(おび)えだ。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number