よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「あの、あなた、本当にボッケン麻世なの」
 遠慮ぎみに訊(き)いてくる美雪に、わずかに麻世がうなずく。
「美雪さんは、ボッケン麻世の名を知っているのか」
 怪訝な思いで口を開く麟太郎に、
「私も以前、ワルの世界に入ってましたから、それで」
 と美雪は、まずこんなことをいった。
「かつてのワル仲間から、高校生のくせに鬼のように強い女がいるという話を一年ほど前に聞いたことがあって。木刀を持たせたら、どんなに強い男でも一撃で殺されるって」
 穴のあくほど麻世の顔を美雪は見るが、多少尾鰭(おひれ)はついているものの、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず――まあまあ事実ではある。
「私はそんな女がいるはずはない。都市伝説の類いだと思いこんでいたんですけど、今日実際に麻世さんを見て、納得したというか何というか」
 美雪はまだ麻世の顔を見ながら、
「もし、いたとしてもプロレスラー並の体格をした大女だと思ってたんですけど、それがこんなに綺麗というか可愛いというか。正直驚きました……」
 大きな吐息をもらした。
「麻世、お前大変なことになってるぞ。鬼のような女で、男を一撃で殺す女だということらしいぞ」
 麟太郎がこれも吐息をもらしながら口にすると「えへっ」と麻世が嬉しそうに笑った。
 容姿のことを誉(ほ)められても喜ばないが、この手の話だと素直に喜ぶ。まだまだこいつは修行が足らん。麟太郎はつくづくそう思ってまた吐息をもらす。
「麻世さんは、やぶさか先生の?」
 美雪の率直な問いかけに、
「こいつは親戚筋の預りもののひねくれ者で、何とかおとなしくさせて真っ当な道を歩かせようと、厳しく仕付けをしている最中です」
 麟太郎は厳かに答える。
「それから、美雪さん」
 情けなさそうな顔を美雪に向けて、
「その、やぶさか先生というのはやめて、せめて大(おお)先生と呼んでくれると有難いんだけどよ」
 麟太郎は呟くようにいう。
「あっ、大先生ですか。いいですよ、そんなことは。はい、大先生ですね。そんなことより、おでんを食べてください。どんどん食べてくださいよ」
 さらっといってのけた。
「ところで、先刻きた乱暴な男なんだが、あれは本当に美雪さんの?」
「はい。恥ずかしながらといっても、私もかつてはそっち側の人間でしたから立派なことはいえませんけど、確かにあいつは西島吾郎(ごろう)といって私の亭主です。私の使っている篠崎(しのざき)というのは旧姓で戸籍の上では西島美雪です。年は私と同い年の三十三歳、お互い半グレをやっていて、あいつは結局ヤクザの世界に入ってしまい、私はその女房……」
 と、美雪は自分のおいたちを話し出した。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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