よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「西島も頭が悪かったですから。暴対法ができてからヤクザのシノギは、切った張ったから頭を使ってのものに大きく変ってしまいました。喧嘩の強さだけが取柄の西島に出る幕はなく、いつまでたっても三下扱い。そんなもやもやがたまりにたまって、ある日同じ傘下の暴力団組員と喧嘩になり、互いに刃物を持ち出して双方とも腹を刺されて病院送り。その後裁判になり、殺人未遂で懲役九年の実刑判決を受け、府中刑務所に送られました。そのとき私は、ようやく気がついたんです」
 美雪はここでぷつんと言葉を切り、
「莫迦は一人で沢山。私と西島、二人の莫迦が一緒にいたら、どんどん深みにはまって抜き差しならないことになる。そうなる前に西島と別れようと」
 大きな吐息をもらした。
「ちょうど西島が刑務所に送られたころ、私は妊娠していることがわかって……」
 細い声で美雪はいった。
「なるほど、そういうことか。そして生まれたのが美代ちゃん――ということは西島は美代ちゃんのことは」
 麟太郎は身を乗り出した。
「知りません。とにかく私は西島が出所する前に、どこかに逃げようと思っていましたから。どこかで美代子と二人だけで、ひっそりと暮していこうと思って」
「それを西島に見つけられて、さっきの騒動になった。ところで」
 と麟太郎は語気を強める。
「その美代ちゃんだが、騒動が始まるころから姿が見えないんだが、どこかへ逃がしたということなのかな」
 気になっていたことを訊いた。
「ああ、あれは逃がしたんじゃなくて帰らせたんです。ここで屋台を開いてから、美代子の手伝いは六時から八時までと決めていましたから、西島がくる少し前にアパートに帰らせました。アパートはすぐそこですから」
 思いがけないことを美雪は口にした。八重子(やえこ)や元子(もとこ)が「六時頃から十一時頃まで」働かされているといっていたのは勘違いだった。
「そういうことか。だから修行なのか。つまり美雪さんは美代ちゃんに、わざと辛(つら)い仕事をさせて。そういうことなのか」
 ようやく麟太郎は納得した。虐待ではなく修行だといった美雪の言葉の意味を。
「何だよ二人で勝手に納得して。わざと辛い仕事って、どういうことだよ。訳がわからないよ」
 麻世が唇を尖らせた。
「美雪さんは、美代ちゃんに強くなってほしいと願ってるんだ。どんなことにも負けない強さを身につけてほしいと思ってるんだ。つまり」
 といったところで美雪が口を開いた。
「美代子の父親は前科者のヤクザ、母親は半グレあがり。おまけに母娘二人だけの貧乏暮し。これでは苛めてくれといっているようなもの。それはそれで仕方がないことだけど、美代子には苛めを耐えるだけでなく、それに立ち向かってほしいと思って」
 一気に美雪はいった。
「ああ、それで、冷たいバケツのなかの水で食器を洗わせたりして……」
 ようやく麻世にもわかったようだ。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number