よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「で、今夜はそこの、ボッケン麻世の姉さんにひとつ訊(たず)ねてえことが」
 麟太郎の向こうに座っている、麻世に向かって軽く頭を下げた。
「腕相撲じゃなく、もし姉さんと本気で命のやりとりをしたら、どんなことになったか。それが知りてえと思って」
 とんでもないことを口にした。
「そんなこと、簡単だよ」
 すぐに麻世が反応した。
「もし、私とあんたが本気で命のやりとりをしたら。そして、もしこれを、私が使ったとしたら」
 麻世は上衣の内ポケットに手を入れ、特殊警棒を取り出して、ひと振りした。がちゃりという音と共に警棒が伸びた。
「あんたは三分以内に頭蓋を砕かれて、あの世にいってるよ」
 物騒なことを麻世は、さらりといった。
「よくわかりました。上には上があるってことが身にしみてわかりました。俺、ヤクザやめることにします」
 びっくりするようなことを、口にした。
「えっ!」
 美雪が悲鳴のような声をあげた。
「こんな世の中になって、のしあがっていくのは頭のいい経済ヤクザだけ。それでも腕っぷしだけはと勝手に自負していましたが、それも今の姉さんの言葉で粉々になりました。だからヤクザをやる必要もなくなりました」
「そうだよ。それでいいんだよ。おじさんはヤクザ向きじゃなかったんだよ。ヤクザをやる必要はまったくないよ」
 麻世と西島の間では会話が成りたっているようだが、麟太郎にはさっぱりわからない。美雪のほうを見ると、これも盛んにうなずいている。どうやら自分だけが取り残されているようだが、何はともあれヤクザをやめるのはいいことだ。
「やめて、どうするんだ、あんたは」
 こんなことしか麟太郎にはいえない。
「やめて働きます。どっかで仕事を見つけて、何とか働かせてもらうつもりです。地べたを這(は)いずり回るつもりです」
 きっぱりと西島はいった。
「だけどよ。ヤクザをやめるって簡単にいうが、向こうはすんなりやめさせてくれるのか。俺は職業柄、ヤクザと警察にはけっこう顔が利くから何なら」
 と麟太郎がいったところで、
「いえ、どうせ俺は組の厄介者ですから。小指(エンコ)飛ばすまでもなく、やめられるはずです。いえ、やめてみせます。そして、できれば」
 西島は美雪の顔を見た。
「できれば俺と、もう一度やり直してほしい。一緒に暮してほしい」
 耳にしたとたん、美雪の顔が怒気に染まった。
「何、ふざけたことをいってんだよ、今頃。てめえのおかげで、こっちはどれだけ苦労したか。わかってるのかよ、クソ野郎がよ──ヤクザをやめて働くだと、地べたを這いずり回るつもりだと。そんなことは実際に地べたを這いずり回って働き始めてから、いえ。口だけなら、何とでもいえるだろうがよ、クソ野郎が」
 感情むき出しの言葉が飛んだ。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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