よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「美雪、俺は本当にヤクザをやめて、歯を食いしばって働こうと、本当に」
 疳高い声で西島は叫んだ。
「ワルだった者が、ちゃんとした仕事を得て、ちゃんと働くことがどれほど難しいか。大きな口を叩くなら、それをちゃんと自分の体で証明してから物をいえ。私たち親子が今まで、どれだけ地べたを這いずり回ったか、どれだけ泣きながら眠った夜があったか。てめえのような能天気にゃ、わからねえだろ」
 美雪は肩で大きく息をした。
「親子って、美雪。おめえ、俺の子を産んだのか。ムショに入ってから産まれたのか」
 西島が怒鳴った。
「てめえの子じゃねえよ。美代子は私だけの子だよ。今頃、父親面されてたまるか。父親面がしたけりゃ、まっとうな人間に戻ってからにしやがれ、クソ野郎が。とっとと、帰れ」
 吐きすてた。
 そのとき、両手でバケツを持った美代子が、よろよろと戻ってきた。
「美代子……」
 嗄(しわが)れた声を出して西島が立ちあがった。
 歩いてくる美代子に駆け寄った。
「美代子なのか」
 喉につまった声でいった。
「うん、美代子だよ」
 西島をじっと見つめた。
 西島が両手で顔をおおった。
 泣き出した。
 美代子の前にしゃがみこんだ。
 抱きしめようとするように、西島は両手を伸ばした。が、両手は途中で止まった。
 のろのろと立ちあがり、両肩を落して歩き出した。何度も後ろを振り返りながら、西島は凍てついた闇のなかに消えた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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