よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第四話(後編) 花と竜・後

池永 陽You ikenaga

「わかった。とにかく診よう」
 麟太郎は左手で乳房を支え、右手で揉(も)むようにしてしこりを探す。あった。小さくはない。大体直径が二・五センチほど。まず間違いなく乳癌だ。
「美雪さん、服を着てください。これから救急車を呼びますので、それに乗ってうちの倅(せがれ)のいる大学病院へ行って精密検査を受けてください」
 命令口調でいった。
 美雪の顔がすうっと青くなる。
「そんなに悪いんですか、私の体」
 気丈な性格でも怖いものは、やはり怖い。
「乳癌に間違いないと思われますが、どの程度なのかは詳しく検査してみないとわかりません。それをすぐにやりましょう」
 麟太郎は一気にいってから、
「大丈夫ですよ。入れ墨のことはちゃんと倅にも説明しておきますから。何ら恥じることなく検査に臨んでください」
 こうして麟太郎は美雪を送り出し、みんなで結果を待っているのだ。
 電話がかかってきたのは、このすぐ後だった。
「悪い、親父。遅くなって。今日は手術がたてこんでいて、このあともすぐにオペ室に戻って、準備にかからなければならない。だから結論だけを短くいう」
 潤一は早口でいい、
「生検の結果は、直径二・五センチの浸潤癌。ステージは三……ちょっと進んでいるけど手術は充分可能で、俺の診立てでは、まず大丈夫だと思う。手術は温存ではなく切除だ。これは美雪さんから了解をとった」
 麟太郎の肩が幾分軽くなる。
「手術は大丈夫だろうが、予後はどうだ」
「予後は何ともいえない。これはステージ二だろうが三だろうが同じことは親父もよく知ってるだろう。定期的に検査をすれば大事にはならないと思うが」
 落ちついた声で潤一はいった。
「乳房の再建はどうだ。美雪さんは何といってる」
「再建は無用だそうだ。乳房にかかる菊の入れ墨はなくなるかもしれないが、それはそれでいいと美雪さんはいっていた。元半グレだけあって、なかなか潔い女性のようだ」
 といって潤一は、ふっと黙りこんだ。元半グレの言葉で麻世の顔が胸をよぎったのかもしれない。
「とにかく、今はひと安心ということか。いや、ほっとした」
「そういうことだな。じゃあ、もう切るから」
 という声をあげる潤一に、
「待て。お前にひとつ訊きたいことがある。お前は今まで夕食をすっぽかされて、妙なメモを残してきたが、もし今度すっぽかされたら何と書くつもりだ」
 どさくさまぎれに、潤一のいちばん嫌がることを口にした。
「それは親父……帰るから、帰るとつづいたんだから、今度は、帰ります・・に決まっている」
 電話はぷつんと切れた。
 思わず、おかしさが湧いてきて麟太郎は顔中に笑みを浮べた。
「どうした、じいさん」
 怪訝そうな声で、麻世が訊いてきた。

(つづく)

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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