よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第六話(前編) 秘 密・前

池永 陽You ikenaga

『田園』の扉を押すと、すぐに夏希(なつき)が麟太郎(りんたろう)の隣にやってきた。
「いらっしゃい、大先生」
 といってから声をひそめて、
「ちょっと、様子が変なんですよ」
 奥を目顔で指した。
 店の奥の診療所側の壁にもたれて座っているのは章介(しょうすけ)である。ちなみにここは章介の指定席でもある。
「章介が、どうかしたのか」
 怪訝(けげん)な思いで麟太郎が訊(き)くと、
「明るすぎるというか、変に明るいというか、いつもの章介さんとはちょっと違うような。ひょっとしたら、宝クジで大金にでも当たったんじゃないかというような気も――とにかく、いつもの冷めた雰囲気はどこかへ行って、一人で笑みまで浮べて」
 首を振りながら夏希はいう。
「明るいんなら、それにこしたことはないじゃないか。それに、笑いは免疫機能を確実に増大させて、病気にもかかりにくくなるはずだからよ」
 麟太郎は医者としてのいつもの持論を、さらっという。
「だから、今もいったように、変に明るいというか、明るすぎるというか」
 夏希は首を竦(すく)めた。
「それで宝クジか――いやいや、まことにもって御明察の通り。そのあたりのママの嗅覚は、まさに動物なみだからな」
「何よ、人を金の亡者みたいに、いわないでくれる」
 痛いほどの力で、肩をどんと背中にぶつけてきた。麟太郎は、こういう夏希が決して嫌いではない。
「じゃあ、章介の笑いの原因をつきとめてきてやろうかな。宝クジで大金をせしめたのか、どうなのか――ところで章介が大金をせしめたとしたら、夏希ママは、いったいどうするつもりなんだ」
 気になったことを口にした。
「丸ごと食べちゃう」
 ぬけぬけといった。
「なるほどなあ。実にママらしい、素直な言葉だよなあ」
 麟太郎はほんの少し肩を落して一人で飲んでいる章介の席に行き、前のイスにどかっと座りこむ。確かに章介の顔には笑みが浮んでいる。それも会心の笑みともいうべき表情だ。これでは夏希ママが気をもむ気持も、わからないではない。
「どうした章介、何があった。宝クジで大金でも当たったんじゃないかと、夏希ママが心配してるぞ」
 単刀直入に訊いた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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