よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第七話(前編) ひとつの結末・前

池永 陽You ikenaga

 今夜の献立は豚肉の生姜(しょうが)焼だ。
 ちょっと脂っこかったが、麻世(まよ)にしては上出来の味だった。
「これはなかなか、うまいな」
 口をもごもごさせながら麟太郎(りんたろう)がいうと、
「そうだろ。肉が軟らかくなるように、ちゃんと酢も使ってあるからな」
 得意げな表情を浮べて、麻世は薄い胸を張る。
「肉も軟らかいけど、味のほうも醤油(しょうゆ)と砂糖の加減が絶妙だ」
 お代りした三杯目の飯を口に放りこんで、潤一(じゅんいち)が感心したような声をあげる。
「まあ、本気になれば私の実力は、こんなもんだよ」
 やや上ずってはいるが、鷹揚(おうよう)な口調で答える麻世に、
「実力というか――」
 潤一はごくりと飯を飲みこむ。
「ひょっとして、これは冷凍食品だったりして」
 潤一にしたら誉(ほ)め言葉の裏返しのつもりだったようだが、これがいつもの余分な一言になった。
「何だよ、それは。これは私が仕込みからつくったもので、冷凍食品なんかじゃないよ。本物だよ」
 疳高(かんだか)い声を麻世があげた。
「あっ、それはわかってるよ。俺はただ、冷凍食品ぐらいうまいということが、いいたかっただけで。近頃の冷凍食品はレストラン並の味を出してるから」
 慌てて潤一は弁解の言葉を並べたてるが、麻世は知らん顔だ。
 ――この二人は、とことん相性が悪い。
 麻世と潤一のやりとりを眺めながら、つくづく麟太郎はそう感じ、小さな吐息をもらして首を傾(かし)げる。
「そういえば、親父――」
 その場をとりつくろうような声を、潤一が出した。
「章介(しょうすけ)さんの件は、ショックだったな」
 とたんに麻世の体から、力がすっと抜けるのがわかった。
 麻世は章介に会ってもいたし、章介からの最後の電話を麟太郎が受けたとき、その場にもいた。それにどういう加減か、麻世は章介を気に入っていたようだ。
「驚いた。まさか章介が、あんなことをするとは。もっと気をつけるべきだった。俺の不覚だ」
 絞り出すような声でいった。
「じいさんの不覚じゃないよ。あのおじさんは武人(もののふ)だったんだよ。私にはあのおじさんの気持がわかるような気がするよ」
 ぼそっという麻世に、
「武人だろうが何だろうが、自分で自分の命を絶ってはいかん。生きて生きて、生き抜くことこそ、ちゃんとした人間というもんだ。たとえ、どんなに辛(つら)いことがあったとしても……」
 麟太郎が吼(ほ)えた。が、最後の言葉は掠(かす)れ声だった。同時に麟太郎の脳裏に八重子(やえこ)の顔が浮んだ。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number