よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第一章 沖縄からきた娘・後

池永 陽You ikenaga

 酷(ひど)い疲れを麟太郎(りんたろう)は覚えていた。
「何といったらいいのか、本当にご苦労さまでした、大先生。ご心痛、お察しいたします」
 すぐに労(いたわ)りの言葉が八重子(やえこ)の口からもれ、深く頭を下げた。
「心痛なのは違いねえんだけどよ――これも全部、俺の不徳のいたすところというか。だから真っ向からそういわれると、何と返したらいいのかよ」
 神妙な口調で麟太郎がいうと、
「と、おっしゃいますと、あの美咲(みさき)さんという人はやっぱり、大先生の――」
 素頓狂な声を八重子はあげた。
 そんな八重子を横目で見て、やっぱりとは、いうに事欠いて何ということをと内心舌打ちしながら、麟太郎はできるだけ厳かな声をあげる。
「不徳のいたすところというのは、あくまで言葉の綾(あや)だからよ。俺は何も、あのことを認めたわけじゃねえよ。いきなり、あんなことをいわれれば誰だってよ、心のほうがよ」
 否定の言葉を口から出すが、八重子は軽くうなずくだけでポーカーフェイスだ。
「もちろん、そうだと私は信じております。大先生に限って、そのようなことは絶対にないだろうと。それはもう決まっています」
 疑うような目つきで、言葉だけは丁寧にこういった。
「絶対にないとはいいきれないだろうが、まあ、そこそこにはというか……」
 墓穴を掘るようなことをいって、麟太郎は慌てて言葉尻を濁す。
「いずれにしても、ここはじっくりとお考えになって、それなりの行動を。何といっても、お相手のいらっしゃることですから誠意のある、きちんとした対応をとられることをお願いいたします」
 これはどう考えても、疑っているとしかとれない口振りだ。
「それから」
 八重子はやけに真面目な顔を向けて、
「今夜の夕食は、どこか外にお出かけになって摂(と)ったほうが。麻世(まよ)さんと差し向いでの食卓では気づまりになるでしょうから。ここはやはり、間を置いたほうが」
 今度はやけに、しんみりとした口調でいった。
 そうだ麻世だ。麻世がこの先、どんな態度をとるのかは、まったく見当もつかない。ここは八重子のいうように、少し間を置いて、麻世の出方を見極めるのも大事なように思えた。
「そうだな、それがいいかもしれねえな」
 麟太郎は、ぼそっと声を出す。
「それなら、夏希(なつき)さんのところが最適だと思われますよ。こういうときの殿方は、やはりお好きな女性のところに行って、優しくしてもらうのが一番の薬ですから。もう昨日のことがどうとか、いってる場合じゃありませんから。ここは腹を括(くく)っていただいて」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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