よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第一章 沖縄からきた娘・後

池永 陽You ikenaga

「比嘉俊郎ならよく知っている。大学では俺と同期で、インターンを終えた後は故里(ふるさと)の沖縄に帰り、ハンセン病の療養所に勤めていた……あの比嘉俊郎なのか」
 遮るように言葉が出た。
「はい、その比嘉俊郎です。私はおじさんと呼んでいますが、二十五年ほど前にハンセン病の療養所はやめて、今は開業医として働いています」
「それは俺も知っている。比嘉とは今でも年賀状のやりとりはしているしよ。あの比嘉が、あんたの大伯父に当たるのか」
 麟太郎は独り言のようにいい、
「しかし、そうなると、あんたは」
 掠れた声を出した。
「私の母は、俊郎おじさんの従姉妹に当たる、比嘉律子(りつこ)です」
 よく知った名前だった。
「母や比嘉おじさんの話によれば、真野先生は二十年近く前までは、けっこう頻繁に沖縄を訪れて、おじさんや母と行動を共にしていたと聞いていますが」
 麟太郎の脳裏に比嘉律子の顔が、ふわっと浮びあがる。最後に会ったのは、あれは二十年ほど前。顔立ちの細部は薄れていたが、きらきら光る大きな二重の目だけは麟太郎の胸に焼きついている。
「そうだな。当時はまだまだ元気なころで、頻繁というほどではないにしても、けっこう沖縄に行って、俊郎に律子さんをまじえた三人で海に行ったり飲みに行ったりは……」
 知らず知らずのうちに言葉を選んで話をしている自分に気がつき、麟太郎は情けない気分に陥る。
「そうですね。母は俊郎おじさんと仲がよく、病院に遊びに行っているうちに真野先生と知り合って親しくなったといってました。そして母は――」
 美咲はぷつんと言葉を切った。
 どれほどの時間が過ぎたのか。
「真野先生の子供を身籠った」
 美咲はまたしばらく黙りこみ、
「それが、私です」
 強い口調でいって、よく光る目で麟太郎を見た。律子によく似た目だった。
「そう、律子さんがいったのか」
 ざらついた声を麟太郎は出した。
「私は母から、そうはっきり聞きました」
「しかし、毎年もらう俊郎からの年賀状には、そんなことは一言も書いてなかったが、それはいったい」
 怪訝な表情を麟太郎は浮べる。
「私は私生児なんです。俊郎おじさんにはいっていたかもしれませんが、母は父親の名前を誰にも明しませんでした。でも、私が高校生になったころから――」
 また沈黙の時間が流れた。
「相手は妻子のある人だから、今まで口を閉ざしていたけど。あなたの父親は東京の立派なお医者さんで、浅草で開業医をしている人だからと、何度も口にするように」
 絞り出すような声だった。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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