よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第一章 沖縄からきた娘・後

池永 陽You ikenaga

「どうもすみませんでした、勝手なことを並べたてて。本当は真野先生が一人のときに話したかったんだけど、よその人の前でこんな話をして」
 イスから立ちあがった。
「いや、この二人は身内のようなもんだから、気にすることは――」
 麟太郎の言葉が終らないうちに「失礼します」と美咲は叫んで診察室を飛び出していった。あっという間だった。
 静けさだけが後に残った。
「じゃあ、じいさん」
 静けさを破って麻世が声をあげた。
「私は母屋のほうにいるから。少ししたら、夕食の仕度をしなければならないし」
 そういって、音も立てずに部屋を出ていった。
 これがそのときの、すべてだった。
 気がつくと、相変らず徳三が夏希を相手に何やら喋(しゃべ)っている。
「それでやっぱり、姐さんの生まれは、深川っていうことなのか」
 徳三のこんな声が聞こえた。
「親方、何を無粋なことを。女の出自は謎が一番。そのほうが、よりいっそう美しさが増すと私は思いますよ」
 夏希は口元だけに笑みを浮べる。
「違(ちげ)えねえ。大きに、そうに違えねえ。謎多きは美しさの根元。姐さんのいう通りだ」
「そうですよ。私は謎だらけの、浅草七不思議――それでいいじゃないですか」
 今度は顔中で笑った。花が咲いたような笑顔だった。そして、徳三が何かをいおうとしたとき理香子が「いらっしゃいませ」と声をあげた。新しい客の到来だ。
 夏希の視線がさっと入口に注がれ、
「これはこれは、ありがとうございます」
 急いで立ちあがり、愛想のよさ全開で新しい客のほうに小走りで向かっていった。
「なるほどなあ。俺たちはあっさり、おいてけ堀……さっぱりしているというか、潔いというか。要するに、気っ風のよさということか。なあ、麟太郎」
 溜息まじりの声を出す徳三に、
「そうだな、親方。女はみんな潔くて、男はみんな優柔不断。情けねえ話だよな」
 しぼんだ声を出した。
 そして、すぐに帰って沖縄の比嘉俊郎に電話をいれてみようと、麟太郎は腹を括った。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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