よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二章 家族会議・前

池永 陽You ikenaga

 大学病院が非番ということで、午後から潤一(じゅんいち)が診療の手伝いにきた。
 どこで聞きつけるのか、潤一がくるときに限って女性の患者が増えるということになるのだが麟太郎(りんたろう)にはそれが、ほんのちょっとではあるけれど癪(しゃく)の種になっている。潤一は長身痩せ型で、甘いマスクの持主だった。
 しかし潤一の診療は午後からというのが幸いしたのか、今日は情報がそれほど広がっていないようで患者の数もいつもほどは増えていない。
 それではと、麟太郎は途中から診療のすべてを潤一に任せて母屋に閉じこもった。考えを整理してみたかった。
 例の比嘉美咲(ひがみさき)の件だ。
 昨夜、夏希(なつき)の店から早めに帰った麟太郎は、すぐさま沖縄の比嘉俊郎(としろう)の医院兼自宅に電話を入れた。
 ざっくばらんな挨拶をしたあと、今日美咲が診療所を訪れてきたことを、麟太郎は正直に詳細に、つかえながらも比嘉に話した。
「美咲は東京に行っていたのか――看護学校にも合格して、これで高校生活も終るから卒業旅行にということで数日間留守にするといっていたが、そうか東京か」
 比嘉はこういい、
「それでお前のところに行って、そんなことを。生れたときから母一人子一人の暮しだったから、ずっと父親のことを引きずっていたのかもしれないな」
 溜息(ためいき)まじりに口にした。
 ほんの少し沈黙がつづいた。
「単刀直入に訊(き)くが――」
 沈黙を破って麟太郎が声をあげた。
「美咲さんの父親のことを、お前は律(りっ)ちゃんから何も聞いてねえのか」
 沖縄を訪れていたころ、麟太郎も比嘉も律子(りつこ)のことは律ちゃんと呼んでいた。
「残念ながら聞いてはいない。律ちゃんは何も語らず、一人で子供を産んで一人で子供を育てた」
 苦しそうに比嘉はいった。
「一人で産んで、一人で育てた……」
 重い声で同じ言葉を返すと、
「ところで、俺もお前に率直に訊くが――律ちゃんは美咲に父親は真野(まの)麟太郎といったというが、そこのところはどうなんだ。身に覚えはあるのか、お前には」
 やや詰問調でいった。
「それは……」
 麟太郎は絶句した。
 また沈黙が流れた。
「ないといえば嘘(うそ)になるし、あるといえばこれもまた嘘になるが」
 ようやく言葉を出した。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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