よみもの・連載

下町やぶさか診療所2

第二章 家族会議・前

池永 陽You ikenaga

 が、いわれてみれば麻世のいう通りだ。迂闊(うかつ)だったが、美咲と麻世は境遇がよく似ていた。だから、これほどむきになって、麻世は美咲のことを。そういうことなのだ。
「悪かった、茶化すようなことをいって。この通り謝るからよ」
 麟太郎は素直に頭を下げる。
「いいよ、別に、そんなことしなくても。私はただ、美咲さんていう人が幸せになってくれればいいだけで」
 照れたように麻世はいった。
 親戚筋からの預りもの――。
 近所にはこういってあるが、麻世は決して麟太郎の親戚筋ではない。まったくの他人だった。
 麻世はずっと母親の満代(みつよ)と二人暮しだった。父親は麻世が小学二年のとき心筋梗塞の発作で呆気(あっけ)なく亡くなり、それから満代は昼はスーパーのパート、夜は清掃会社と掛持ちで仕事をしたが、それでも暮しは楽にはならず貧しかった。
 満代は仕事をスナック勤めに変え、そんなところへ現れたのが梅村(うめむら)という男だった。梅村は満代より十歳ほど若い、何をしているかわからない男だったが、週に一度は二人のアパートに泊っていった。麻世はこの梅村が大嫌いだった。梅村は顔を合せると、ねっとりとした粘着質の目で麻世の体を舐(な)めるように睨(ね)め回した。
 そしてある日――梅村は不意を衝(つ)いて麻世に襲いかかり、気を失わせて体を奪った。居場所を失くした麻世は自殺を図って失敗し、麟太郎の診療所を訪れた。話を聞いた麟太郎は麻世を手許(もと)に引き取ることにし、二人の共同生活が始まった。
 梅村とはその後も様々ないざこざがあったが、それが解決して、すべてが何とか落着したのはまだ、三カ月ほど前のことだった。

 ようやく診療が終ったらしく、潤一が母屋に戻ってきた。扉を開けるなり、麟太郎と話をしている麻世の姿を見て「わっ」と大げさな声をあげた。
「麻世ちゃん、こんにちは。相変らず……」
 といったところで言葉を飲みこんだ。どうやら「相変らず綺麗(きれい)だね」といいたかったようだが、へたなことを口にすれば麻世にどやされることはわかっている。
 こいつの学習能力も少しは上がったようだ――そんなことを考えつつ、
「悪かったな、潤一。全部任せっきりにしちまってよ」
 労(ねぎら)いの声をかける。
「そんなことは、いいんだけど、気になることが」
 潤一は麻世のすぐ隣に腰をおろし、
「今日も例によって、胃がもたれるとかで元子(もとこ)さんがやってきて」
 と話を始めた。
 元子とは近所の仕出屋の女将(おかみ)で、年は四十代の半ばほど。婿取りをしている家つき娘のため性格は自由奔放、潤一のファンだった。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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