よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第二章 家族会議・後

池永 陽You ikenaga

 麻世(まよ)は台所で夕食の仕度。
 献立てはロールキャベツだといっていたが、はてさて、どんな代物がテーブルの上に並ぶのか。麟太郎(りんたろう)にしてみたら、そういったところも、ちょっとした楽しみのひとつになっていた。
「おおい、麻世っ」
 麟太郎は食卓のイスに座ったまま、台所の麻世に声をかける。
「今日はちゃんとした形を保ったまま、キャベツは出てくるんだろうな」
 そういって返事を待っていると、
「いちおう、ちゃんとしたキャベツらしい顔をして出てくると思うけど。化粧っけなしの顔だから、じいさんが気に入るかどうかは、何ともいえないけどな」
 気楽そのものの声が聞こえてきた。
 それにしても化粧っけなしとは――なかなか麻世も面白いことをいうと妙な感心をしながら、麟太郎は今日の診察室での出来事を頭に浮べる。
 朝一番の患者は、仕出屋の元子(もとこ)だった。
 今日は潤一(じゅんいち)が診療の手伝いにくる予定はないし、ちょっと変だなとは思ったものの、いちおう、どんな症状なのかを訊(たず)ねてみる。
「いつもの胃もたれですよ、大先生。だから今日は、お薬さえいただければ、けっこうなんですけどね」
 元子のこの言葉に、麟太郎の胸に嫌な予感がわきおこる。
「そんなことより、大先生」
 へらっと笑って、元子が麟太郎の顔をちらっと見た。
「例の落し胤(だね)のお相手なんですが――町内では深川あたりの売れっ子芸者さんだって、大評判ですよ」
 窺(うかが)うような目つきをした。
 とうとう噂(うわさ)に尾鰭(おひれ)がつき出した。やっぱり下町というところは凄(すご)い。この分だとこのあとはどんなことになるのか。内心大きな溜息(ためいき)をつきながら、
「そんな噂を、元子さんはいってえ、どこから仕入れてきたのかね」
 できる限り穏やかな口調で、麟太郎は訊(き)く。
「噂の出所なんてわかりませんよ。それこそ、あっちでもこっちでも、町内のどこへ行っても、大(おお)先生のこの浮いた話でもちきりなんですから」
 しゃあしゃあと元子はいうが、いくら下町といっても、それほど暇人ばかりがいるわけでもない。しかし、それほどではないとしても、ある程度はと考える麟太郎の脳裏にふいに徳三(とくぞう)の顔が浮んだ。
 あいつだ。
 おそらく徳三が『田園』の夏希(なつき)を評して、深川の羽織芸者のような小股の切れ上がったいい女――などと得意げに吹聴したのを誰かが耳にして、いつのまにかそれが麟太郎の今度の件にくっついてしまい、こんなことに……そうとしか考えられない。この分でいくと、いったい次はどんな展開になってしまうのやら。
「ううっ……」と思わず麟太郎は吐息をもらす。
「あっ、やっぱり図星だったんですね。大先生。羨(うらやま)しいことで」
 とたんに元子の顔が、ぱっと綻んだ。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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