第三章 御嶽での一夜・前
池永 陽You ikenaga
昼ちょっと前に、麟太郎(りんたろう)が那覇空港に着くと比嘉俊郎(ひがとしろう)が迎えにきていた。
比嘉と一緒に空港の外に出ると、まだ三月だというのに温気のようなものが、わっと麟太郎の体を押しつつんだ。暑くはなかったが、初夏のにおいが感じられた。
「ここからはあそこにある、俺の車で移動だ。途中で昼飯を食っていこうか」
比嘉はこういって、空港前に停(と)めてある車を目顔で指した。かなり年季の入った軽自動車だった。
「相変らず医院のほうは、儲(もう)かってはいないようだな」
車に乗りこみ、隣でハンドルを握る比嘉にいうと、
「沖縄に限らず、良心的な町医者なんてのはこんなもんだ。町医者が儲けに走ると、ろくなことにならない。お前んところも似たようなもんじゃないか」
笑いながら軽口を飛ばした。
「確かに、俺のところも似たようなもんだ。しかしその分、面白くもあるし気楽でもあるがな」
楽しそうに麟太郎もいう。
「そういうことだ。いくら大金を持っていたとしても、死んでしまえばそれまで。それは人の生き死にを沢山見てきた、医者の俺たちがいちばんよく知っているからな」
そんな話をしながら、比嘉は三十分ほど運転をつづけ沖縄の古民家風の店の前まできて車を停めた。
「ここの、ソバはうまい」
比嘉のあとにつづいて麟太郎は店のなかに入り、靴を脱いで板敷の床にあがる。小さな座卓の前に胡坐(あぐら)をかいて座り、一息つく。
注文をとりにきた女性に麟太郎はソーキソバと炊きこみごはん(ジューシー)、それに島豆腐を頼み、比嘉も同じ物を注文した。
店内の古びた窓はすべて開け放してあり、そこから爽やかな風が入ってくる。いい気持だった。
車なのでビールという訳にはいかず、二人は料理と一緒に運ばれてきた、さんぴん茶で乾杯する。
「ところで、美咲(みさき)さんは元気か。東京から戻ったあとは、どんな様子だ」
麟太郎が口を開くと、
「上機嫌とはいかぬまでも、機嫌のほうはすこぶるよかったな。あれは、けっこうお前のことが気に入ったという証拠だと、俺は見ているが」
嬉(うれ)しそうに比嘉はいった。
「まあ、そうかもしれねえけどよ」
麟太郎はソーキソバの汁を、ずずっとすする。しっかりとダシのきいた、喉に染みわたる味だった。
- プロフィール
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池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。