よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第三章 御嶽での一夜・後

池永 陽You ikenaga

 麟太郎(りんたろう)が自宅に戻ったのは次の日の夜、七時を過ぎたころだった。
 玄関をあけて母屋に行くと麻世(まよ)と、それになんと潤一(じゅんいち)がいた。
「じいさん、夕食は」
 と麻世が訊(き)いてきた。
「夕食は電話でも伝えたように、空港のなかで簡単にすましてくるといった通りだ……そうか、わざわざつくっておいてくれたのか、麻世は」
 鼻をぴくぴくさせると、これはカレーのにおいだ。願わくはカレー焼きそばではなく、カレーライスのほうがいいがと余計なことを頭に浮べながら、
「せっかくの麻世の心づくしだから、食べてみるか。食ったのは、ハンバーガーのセットだけだったからよ」
 と声をあげるが、これは嘘(うそ)である。空港内の和風レストランで、厚手のトンカツ定食を麟太郎はがっつり食べてきていた。
「えっ、食べてくれるのか。そいつは嬉(うれ)しいな。そうか、じいさんは食い意地が張ってるからな。年よりのくせに」
 そういって麻世は嬉しそうに、台所のなかに入っていった。
「ところで、潤一――」
 食卓のイスに腰をおろして、麟太郎は奇異な声をあげる。
「お前はなぜ、今日ここにいるんだ。こんな時間に俺が帰ってくるのなら、当然メシは外ですませてくるだろうと、長いつきあいのお前なら想像もつくだろうによ」
 じろりと顔を睨(にら)んだ。
「いやまあ、それはそうなんだろうけど、やっぱり、沖縄でどんな話をしてきたのか、美咲(みさき)さんの問題はどうなったのか……それはやっぱり、息子としては大いに気になることだから。それでまあ……」
 上ずった声で慌てていった。
「なるほどな。それはやっぱり、身内としたら、気になるだろうな。お前の気持はよくわかる」
 と、大きくうなずいて麟太郎は同意する。が、確かにそれもあるかもしれないが、こいつの主な目的は別のところにあるに違いない。おそらくは麻世との時間――麻世と二人きりで話がしたいがために、自分のいない間にここへ。そんなところだろうと思いつつ、麟太郎は極めつけの言葉を出した。
「お前、ひょっとして」
 できる限り柔らかな声でいった。
「ひょっとして、昨日の夜もここにきてるんじゃねえか」
 麟太郎はここで言葉を切り、
「麻世はもう、うちの身内同然というか、本物の家族のようなものだから。俺がいないときに、二人で美咲さんのことをきちんと話し合っておくのもいいかというような殊勝な思いを抱いてよ……」
 意地が悪いとは思ったが、心にもないことを、潤一の顔を見すえて口にした。
「あっ」
 と叫ぶような声をあげて潤一は麟太郎の顔から視線をそらし、
「まあ、それはそうだな。実をいえば昨夜も俺はここにきて、麻世ちゃんにその件を切り出してはみたんだが――じいさんにはじいさんの、ちゃんとした考えがあるだろうから、私がとやかくいうことじゃないと一喝されて」
 力のない声でこういった。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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