よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第三章 御嶽での一夜・後

池永 陽You ikenaga

「ほう、一喝されたのか。なるほどな」
「あっ、もちろんそれだけじゃなく、話のついでに晩メシにありつけるんじゃないかとも、そういう気持も少しはあってさ」
 慌ててこうつけ加えた。
 おそらく話は逆だ。潤一の本音としたら美咲の件は方便で、麻世と一緒に仲よく夕食を摂りながら、二人きりで日ごろはできない話でもしようというのが主目的だったのだろうが――それが、どんな話なのかはさておいて。
「それで、晩メシは食わせてもらったのか。ちゃんとありついたのか」
 肝心な部分・・・・・を麟太郎は訊いてみる。
「それがその。何といったらいいのか」
 潤一は急にしょげ返り、蚊の鳴くような声をあげた。
 昨夜潤一が、分別くさい顔をして美咲の話を麻世にして一喝されたあと、
「あの麻世ちゃん。それはそれとして、今夜の夕食は……」
 こう恐る恐る切り出してみたところ――。
「私はおじさんの奥さんでも、食事係でもない。私も今、カップラーメンで夕食はすませたところだから、おじさんも何か食べたいのなら、自分でカップラーメンでもつくって、すませるといい」
 すぐに一刀両断されたという。
 やはりこの二人は相性が悪い。
 それも徹底的にだ。こうなってくると、前世では敵同士。そう考えるしか、しようがない。しかし、この二人。このままいくと、どうなってしまうのか。どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、うまくいくとは到底思えない。となると、決して打たれ強いとはいえない潤一は麻世をすっぱり諦めることができるのか。そんな思いが、ふっと麟太郎の胸をよぎる。
 何といっても潤一は、大学病院ではモテモテのイケメンで通っている身。そんな甘い環境にいる潤一が手痛く振られたら……いったいどんな状態になるのか。
「俺たちが家族だと思っていても、麻世にしてみたら遠慮しなければという部分もかなりあるだろうし――だからまあ一喝の件は、あの臍曲(へそまが)りにしたらそうするより術(すべ)はなかったんじゃないかと俺は思うが。だから、お前もあんまり気にしないほうがいい」
 いつのまにか麟太郎は、潤一を慰めていた。
「それに晩メシの件にしても、元々あいつは料理が不得手というか、男っぽいというか。そういった面倒なことはやりたくないというのが本音だろうから、そっちのほうもな」
 それだけいって麟太郎は、ごほんとひとつ空咳(からぜき)をした。
「そうかなあ……」
 麟太郎の言葉に、潤一は宙を見上げて考えているようだったが、
「そうだな、そういうことだよな。俺もそうじゃないかと段々思えてきた」
 一人で盛んにうなずいている。
 そんな様子を見て、麟太郎は大きな溜息(ためいき)をつく。
 振るばかりで、振られる経験をほとんどしていない男は、これだから始末に悪い。事、男と女のあれこれに関しては、自分の都合のいい解釈しかしようとしない。これならいっそ、麻世に振られて大泣きしたほうが、こいつのためにはいいかもしれない……そんな思いが胸の底からじわじわ湧いてきた。
 そんなところへ「できたよ」という声が聞こえ、麻世が台所から料理を運んできてテーブルに並べ出した。
 カレーライスだった。
 ほっとした。すぐ前の潤一を見ると、これも同様の顔をしている。
「うまそうだな、麻世」
 思わず賞賛の声をあげると、
「カレーなら、じいさんがもし何かを腹に入れてきたとしても、食べやすいんじゃないかと思ってさ」
 さらりといった。
「それはまあ、年寄りにしたら有難い話ではあるな」
 素直に礼をいうと、潤一が羨(うらや)ましそうな顔でこのやりとりを聞いていた。
「じゃあ、カレーを食べてから、沖縄で俺が比嘉(ひが)に何をどう話してきたのか、それをすべて、明らかにするから、しっかりと聞いてほしい」
 そういって麟太郎は、スプーンを取った。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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