第三章 御嶽での一夜・後
池永 陽You ikenaga
それから八年後――。
五月のゴールデンウイークに、妻の妙子(たえこ)が友達と北海道旅行に出かけるというので、
「じゃあ俺は、南の果てに行ってくるよ」
と麟太郎は久しぶりに沖縄の比嘉の許(もと)を訪れた。
八年前に律子の働く店に行った次の年。今度は九州で学会があり、そのとき沖縄にも足を延ばしていたが、それ以来だった。むろん、このときも比嘉に連れられて律子の働く店に行き、次の日には三人で名護の海にも行った。
久しぶりの訪問に、大喜びで比嘉は麟太郎を迎えた。
「じゃあ、律ちゃんの店に行こう。きっとびっくりするぞ」
こういって、夜になると早速麟太郎を『でいご』に連れ出した。
懐しい店だった。派手な化粧の恭子ママがいて、そしてやっぱり隅のほうに律子の姿があった。
「あっ、麟太郎!」
なぜか律子は麟太郎を呼びすてにして、素直に驚いた表情を見せた。が、驚いたのは麟太郎も同様だった。そこにはもう、あの美少女の律子の姿はなかった。
律子は大人の女になっていた。
成熟した女の美しさを持っていた。
肌の色は以前と同じで浅黒く、化粧気もまったく見られないスッピンだったが、律子は際立った美しさを見せていた。一言でいえば、いい女――麟太郎は唾を飲みこんだ。
「久しぶりだね、麟太郎、七年ぶりだよ。これでは薄情がすぎるんじゃないの。私はいつくるか、いつくるかって首を長くして待っていたのに」
嘘か本当かわからないことを、律子はこれも呼びすてでいった。
「あっ、いや。沖縄はやっぱり遠いから、そう頻繁にはくることはできないから」
上ずった声でいうと、
「どうだ麟太郎、律ちゃんは大人の美女になっただろう」
比嘉が得意げに胸を張っていった。
「いや、確かに驚いた。美少女が正真正銘の大人の美女になっていた。色っぽくなってしまって唸(うな)りが出た」
素直に気持を口に出すと、
「唸れ、唸れ」
と囃(はや)し立てるように律子がいった。
「ねえ、唸れ唸れはいいんだけど、私のほうはどうなのよ。久しぶりに会った感想をちゃんといってよ」
恭子ママが催促じみた言葉を出した。
「恭子ママはもちろん、永遠の二十五歳。青春残酷物語に変りはないな」
当時を思い出して笑いながらいうと、
「あっ、そう」
何を期待していたのか、恭子はわかりやすくしょげた。
「それにしても」
と麟太郎は奇異な目を律子に向ける。
「容姿は変っても、服装は昔とまったく同じだな」
そうなのだ。紺のTシャツに、ざっくりした白い木綿のシャツ。下は洗いざらしのブルージーンズだった。長袖のシャツを腕まくりしている格好も七年前と同じだった。
「あれやこれや、変った物を身につけるのも面倒臭いからね。だから着る物はいつも同じ。これがいちばん気楽でいいから」
腰に手を当てて、律子は笑った。
何となく神々しく見えた。
- プロフィール
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池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。