よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第五章 三角関係・後

池永 陽You ikenaga

 那覇空港のロビー。
 青い顔をして、ぐったりと背中をイスにもたせかけているのは麻世(まよ)だ。
 息遣いも荒く過呼吸の状態で、脈もかなり速い。医学的にいえば急激な血液循環の不調から血圧と同時に体温も低下して、一時的に体がいうことをきかない状況に陥っているのだ。
「麻世、どうだ、気分のほうは」
 隣に座る麟太郎(りんたろう)が、脈をとりながら優しげな声をかける。
「大丈夫だ、じいさん。もうしばらくすればよくなると思うから」
 細い声でいう麻世に、
「俺もそう思う。医者の俺がそういうんだから間違いはない。まあ、あと二、三十分もすれば随分楽にはなるはずだ」
 励ますように麟太郎はいうが、原因はわかっているので心配はしていない。
 飛行機だった。
 初めて乗った飛行機に麻世は恐れをなし、体が極端にそれに反応して、一時的にショック状態に陥った。そういうことなのだ。おそらく麻世は極度の高所恐怖症の持主なのに違いない。
 今朝も家を出るとき念のために、
「麻世、お前は今まで飛行機に乗ったことはあるか」
 と麟太郎は訊(き)いてみたのだが――。
「乗ったことはないけど、多分怖くはないと思う……」
 麻世は細い声で、こんな言葉を返した。
 それならまあ大丈夫だろうと高を括(くく)っていたのだが、飛行機が滑走路を離れて、ぐんぐん上昇を始めると麻世の表情が強張っていくのがわかった。
 それからは何を喋(しゃべ)りかけても一言も口を利かなくなり、唇を一文字に引き結んでいた。両目も固く閉じ、両手は座席の端っこをぎゅっと握りこんでいた。
 まあ初めての飛行機ならこれぐらいはと、あまり気にしなかったが、那覇空港に近づくにつれて、それまで順調だったフライトの様子が一変し、機体がガタガタと大きく揺れ出した。
 機内アナウンスでは低気圧が発生しているということだったが、機体が高度を下げるに従って風も雨も強くなる一方で、飛行機には慣れているはずの麟太郎も恐怖を覚えるほどだった。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number