よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

 麟太郎は小さく首を振ってから、
「しかし、前にもいったようにハンセン病は極めて弱い感染症で、一緒に生活をしていた家族のように、よほど長期的で濃厚な接触をしない限り罹患することはねえ。これは医学的にも証明されているし、何よりハンセン病の患者の治療にあたっていた医師や看護師に発症した人間が一人もいないということからもそれは一目瞭然の事実だ」
 噛(か)んで含めるようにいった。
「それなら、それを声を大にしていえば、そんな差別なんか収まるんじゃないのか」
 叫ぶような声だった。
「人間というのは弱い生き物でな。いったん思いこんでしまうと、それを覆すことはなかなかな。世間ではいつのまにか、ハンセン病は遺伝性の強力な感染症だという烙印(らくいん)が押されてしまった……」
 麟太郎の声が掠(かす)れた。
「そんなこと……」
 麻世も泣き出しそうな声だ。
「そして、そんな烙印を押させる大きな要因のひとつは、ハンセン病に対する国の対応にもあった」
「国の対応って……」
 怪訝(けげん)そうな表情を浮べる麻世に、
「それも含めて、展示されているものをじっくり見てこいということだ、麻世」
 麟太郎は麻世を見据えていった。
「わかった。納得がいくまで、じっくり見てくるよ、じいさん」
 大きく首を縦に振って麻世は答えた。

 このあと麟太郎は麻世と一緒に園のなかに入って二手に分かれた。麻世は資料館に向かい、麟太郎は施設の裏手に回ってその帰りを待った。
 よほど真剣に見て回ったのか、麻世が麟太郎の前に戻ってきたのは、二時間以上が過ぎたときだった。
 顔色が悪かった。
「何だよ、あれ……」
 一言、ぼそっといった。
「大変な病気には違いないけど、それにしたって」
 睨(にら)むような目で、麟太郎を見た。
「そうだな。死病ではないが、大変な病気には違いない――四千年もの前から人類がハンセン病と闘いつづけてきたのは事実であり、有効な治療方法がなかったのも確かだ」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number