よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

 麟太郎はちょっと言葉をのみこみ、
「明治時代から昭和の中頃までは大風子油(だいふうしゆ)というのが治療薬として用いられたが、ほとんど効果はなかった。しかし、アメリカで使用されたプロミンという薬がハンセン病に対して劇的な効果を持つことが、このころ確認され、日本でも太平洋戦争以後はこの薬を用いて、ハンセン病は完全治癒することが確実に立証された」
 静かな口調で後をつづけた。
「そんなことは今、見てきたばかりだから大体わかってるよ。私のいいたいのは、そういうことじゃなくて」
 麻世がまくしたてた。
「麻世のいいたいことはわかってる。そういった特効薬が発見されても、過激な差別はなくならず、沢山の人たちが非人道的な仕打にさらされてきた。そういうことだな」
 低すぎるほどの声を麟太郎は出した。
「そうだよ。大人はもちろん、小学生や中学生ほどの子供たちまで、ハンセン病と診断されると親元から強制的に引き離されて、こういった施設に送りこまれたんだ。酷(ひど)いよ、酷すぎるよ」
 麻世の目は潤んでいた。
「小学生っていったら、本当に、ほんのちっちゃな子供で普通ならお母さんにくっついて、まだまだ、甘えていたい真っさかりのころだよ。それが泣いたって喚(わめ)いたって家族の許(もと)に帰ることは叶(かな)わなくて、諦めるより術(すべ)はなくて歯を食いしばって」
 麻世は静かに泣いていた。
 どうやら、程度は違うが自分の小学生のころを、麻世はその子供たちに重ね合せているようにも感じられた。
「すまねえな、麻世。俺たち大人が不甲斐(ふがい)ないばかりによ。特に俺たちのような、医療従事者がよ。本当にすまねえ」
 麟太郎は麻世に向かって、深く頭を下げた。
「何も、じいさんがそんなふうに謝らなくても。別に私はじいさんを責めてるわけじゃないから」
 顔の前で手を振る麻世に、
「いや、俺を始め、責任はすべての大人にある。大人が小さな子供を泣かせちゃ駄目だ。諦めさせちゃ駄目だ。そんなことをさせないようにするのが俺たち大人の……」
 麟太郎も鼻の奥が熱くなるのを感じた。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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