よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

「これって!」
 麻世がまた、同じ言葉を口にした。
「国が実行した、断種政策だ。悪い遺伝子を持った子供を、この世に出すわけにはいかんという」
 麟太郎は言葉を絞り出した。
「それが、断種政策?」
「優生保護法の対象にハンセン病も入れられてな。その結果、療養所内の男女には子供のできなくなる手術が強制されて……そんななかでも子供ができてしまうこともあって」
 麟太郎の声が震えた。
 悲しくて悲しくて、しようがなかった。
「そんなこと、じいさん。人間のやることじゃないじゃないか」
 麻世が叫んだ。
「そうだな。とても、人間のやることじゃねえ。しかし、切羽つまれば人間はやるんだ。いや、人間だから、やるんだ。悲しすぎるが、それが世の中の現実だ。だからといって、見て見ぬふりをしてたら駄目だ。何があろうと、人を殺すことだけは駄目だ」
 いっているうちに荒々しい気持が、麟太郎の胸の奥にどんどん湧いてきた。
「じいさん――」
 麻世のはっきりした声が響いた。
「こんなことなら昨日の夜。あのクソ野郎をぼこぼこにしておけばよかった。対応が甘すぎて、今では後悔してる」
 クソ野郎とは昨夜『でいご』にやってきて美咲(みさき)のことをバイキン呼ばわりした、金武秀治(かねたけしゅうじ)という若い男のことだ。
「そうだな。俺も少し甘かったかなと、今では思ってるよ」
 いつもなら麻世の過激な言葉に、すぐに戒めの言葉を出す麟太郎が逆に発破をかけるようなことを口にした。やっぱり麟太郎自身も気が昂(たかぶ)っているようだ。
「そうか、それなら東京へ帰るまでに、あいつのネグラに乗りこんで、勝負をしてきてもいいか」
 勢いこんでいう麻世に向かって、
「いいさ、やってこい、麻世」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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