よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

 とんでもない言葉が口から飛び出して、当の麟太郎自身が慌てた。
「きまりっ――あいつの性根はかなり腐っているようだから、腕の一本や二本はへし折ってやらないと反省はしないだろう」
 両の拳を握りしめて、物騒なことを麻世が口走った。

 昨夜、バイキンという言葉を秀治という男が口にしたとき、真っ先に動いたのは親代りの比嘉だった。
「おい、あんた。今なんていった。いくら何でも若い女の子にいう言葉じゃないだろう。失礼すぎるだろう」
 立ちあがった比嘉は押し殺した声を、秀治にぶつけた。手荒なことには慣れていないらしく、比嘉の全身は小刻みに揺れていた。
「何だよ、おっさん。あんたに、そんなことをいわれる筋合いはねえよ。年寄りは年寄りらしく、そこの隅っこでおとなしく安酒でも飲んでろ、莫迦(ばか)野郎がよ」
 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で秀治はいって、せせら笑いを浮べた。
「筋合いは大いにある。私はこの子の身内であり、唯一の親代りでもある。美咲は私の実の子同然で、私にはこの子を守る義務がある」
「身内だと……」
 瞬間、秀治の顔に、わずかに動揺らしきものが走ったがすぐに消えた。
「なるほど、美咲の一族だということは、あんたもバイキンだっていうことか。親子揃(そろ)ってのバイキンの登場ということか」
 このとき麟太郎は、ようやく理解した。
 迂闊(うかつ)だったが、あの件だ。この金武秀治という男、比嘉の親戚筋にハンセン病の患者がいたことを知っているのだ。だからバイキン――しかし、なぜそんな美咲を困らせることをこの男は。
「何をわけのわからないことを、ごちゃごちゃいってんのよ。お酒は楽しく飲まないと、ねえ、秀ちゃん」
 恭子(きょうこ)ママの能天気な声が聞こえたが、どうやらママはバイキンの意味あいを知らないようだ。
「うるせえ、クソ婆(ばば)あ。てめえも隅っこで安酒でも食らってろ」
「クソ婆あとは何よ。あんた、あんまりなこというと、この店の出入りを禁止するからそのつもりで物をいいなよ」
 クソ婆あに反応したのか、今度は秀治に食ってかかった。
「だまれ、クソ婆あ。出禁(デキン)だろうが何だろうが、俺にはそんなこと関係ねえ。きたいときにきて飲みたいときに飲む。これ以上ぐちゃぐちゃいうと仲間を連れてきて、この店のなかを叩(たた)っ壊すからそう思え」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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