よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

「あなたに、そんなことをいわれる筋合いは、まったくありません。オカド違いというものです」
 エリックという男は、流暢(りゅうちょう)とはいかないまでも、わかりやすい日本語でこう答えた。
「いつ出会っても、むかつく野郎だな。てめえってやつはよ――まあ今は取りこみ中だから大目に見てやるけどな」
 秀治は麻世に視線を向け、
「ところで姐ちゃん、さっきの話のつづきだけどよ。俺が勝ったら、いったいどうしてくれるんだ」
 催促するようにいった。
「この店にはいつきてもいいし、美咲さんに対しても、少々のことなら構わないということにしてやるよ。私の責任で、誰にも文句はいわせないから、勝手気儘(きまま)に振るまえばいいよ」
 麻世はこういってから、ちょっと、すまなそうな顔を美咲に向ける。
「勝手気儘か。いいな、その言葉は――しかし、もうひとつぐらい、何かプレミアムがつけば乗ってもいいけどな」
 妙なことを口にして、秀治もちらりと美咲の顔に目をやった。
「どうだ、可愛い姐ちゃん。もし俺が勝ったら、あんたのキスをプレミアムとしてつけるというのは。それなら俺も、この賭けに乗ってもいいけどな」
 嬉(うれ)しそうにいって、また美咲の顔に目を走らせるが、美咲はまったくの知らん顔だ。秀治はちょっと失望感を顔に滲(にじ)ませ、麻世のほうに視線を向けた。
「いいよ、私はそれでも」
 何でもないことのように麻世がいった。
「よし、乗った。それでいったい何の勝負なんだ。俺は空手は二段の腕前だし、喧嘩(けんか)慣れもしてるし、ガタイもでかいし――そんな俺と殴り合いをしても勝てるはずがねえだろうし。まさか、ジャンケンだなんていい出すんじゃねえだろうな」
 麻世を見る目に力が入った。
「そんなことはしないよ。正々堂々の力の勝負だよ」
 その言葉に麟太郎は思わず、麻世のほうを振り向く。
「おい、麻世。まさか本当に、あの男を相手に暴れるつもりじゃ。相手は、かなり強そうだぞ」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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