よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・前

池永 陽You ikenaga

 これも大きな疑問だった。
「あの子は成績も悪かったし、不器用だったし。あんな言葉や態度でしか、愛情表現ができないんだと思います」
 きまり悪そうにいう美咲に、
「要するにあれか。小さいころ、自分の好きな女の子に対して、ことさら意地悪をするという――そういうことか」
 納得したように口にする麟太郎に、
「実は小学生のとき、私にバイキンという渾名(あだな)をつけたのも、あの子なんです」
 消え入るような声で美咲はいった。
 何の理由も、きっかけもなかった。
 ただ、ことあるごとに、
「美咲んところはバイキンの家筋だから、みんな話をしたり遊んだりすると、そのバイキンがうつって大変なことになるぞ」
 餓鬼大将だった秀治にこういわれると、みんなは逆らうこともできず、美咲は小学生のころから孤立して一人きりでいることが多かった。
 そんなとき、美咲は一人で運動場の隅にあるブランコに座っているのが常だったが、そこへ秀治がやってきて何かと憎まれ口を叩き、それでも美咲と二人だけの時間が過せたことを喜んでいるような様子だったという。
「とにかく、小学校、中学校では、バイキン、バイキンとあいつに苛(いじ)められつづけて、私はけっこう悲しい思いを――小学三年生のとき、バイキンを退治してやるといって、体中に消毒液をかけられたときには悔しくて、思わずあの子を突き飛ばしたことも……」
 美咲のこの言葉に、
「そのとき、あいつは、どんな態度をとったんだ」
 麻世がこう聞き返した。
「いかにもバツの悪そうな顔をして、逃げていきました」
 頭を振りながら、美咲はいった。
「屈折の塊だな、あいつは――しかし、小さいころからの苛めの元凶が、あいつだったとは。まったくもって許せんな」
 呟(つぶや)くように麟太郎はいい、
「それにしても、もう一人のエリックという海兵隊の男は、あいつとは逆に、やけに静かな性格のようだったが」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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