よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第六章 隔離施設のなかで・後

池永 陽You ikenaga

 少しずれた返事が耳を打った。
「てめえもそれだけ大口叩くなら、何か格闘技をやってるんだろうな」
 秀治が探るような目を向けた。
「聞いてもわからないだろうけど、日本古来の武術で柳剛流という体術だよ」
「柳剛流だと……」
 秀治は一瞬きょとんとした表情を浮べ、
「何でもいいが、ぼこぼこにしてやるから道場にあがれ。その可愛い顔が砕けても知らねえからな」
 残忍そうな笑みを投げつけた。
 麟太郎の体がすうっと凍(ひ)えた。こいつは本気でやる気だ。百八十センチ近い体は筋肉の鎧(よろい)そのもので、左右の大きな拳は岩のように硬そうで分厚い巻藁(まきわら)ダコにおおわれている。
「瓦、十枚――」
 得意げにいう秀治の言葉を耳に、麻世と麟太郎は板敷の道場のなかに踏み入る。
 広さは四十畳くらいで、壁には六尺ほどの羽目板が張り巡らしてあったが、その上は風通しをよくするためか何もない空間になっていた。どうやら沖縄特有の造りのようだ。
 道場内には白帯黒帯、合せて十人ほどが稽古をしていた。その門下生たちに、
「これから、この姐(ねえ)ちゃんのたっての頼みで模範試合をやることになった。だから、お前らは壁際に寄って見学するように」
 秀治は大声を張りあげた。どうやら秀治はこの道場ではかなり上の位置にいるようだ。秀治の一言で門下生たちは、さっと壁際に下がって正座した。
「なら、やるか。可愛い姐ちゃん」
 道場の中央に立って秀治が声をあげた。
 靴下を脱いだ麻世は、はおっていた上衣も脱いでTシャツにジーンズ姿になる。
「じいさん、この上衣預っててくれるか。なかに例の警棒が入ってるから。そんなことにはならないと思うけど、もし門下生に険悪な動きを感じたら、警棒を私に放ってほしい」
 麻世は小声でそういって、上衣を麟太郎に手渡した。
「それは、まあいいが。本当に麻世、大丈夫なのか。あいつ、けっこう強そうだがよ」
 道場の中央に立った秀治は盛んに宙に向かって、空突きと空蹴りを繰り返している。そのたびに稽古着がばしっと音を立て、いかにも余裕のある様子だ。
「大丈夫だよ、じいさん」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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