第六章 隔離施設のなかで・後
池永 陽You ikenaga
麟太郎が思わず声をあげると、
「親戚筋にあたりますのう。その縁もあって、このクソ坊主を預っておりますが、なかなか性根のほうがのう」
尚高は皺(しわ)だらけの顔を崩して、ほっほっほと笑った。温和な顔だった。
そこへ門下生が水の入ったバケツを持ってきた。尚高は首に巻いていたタオルをそこに入れ、秀治の顔の上でぎゅっと乱暴に絞った。それから抱きおこして首根に水をかけ、背活(はいかつ)をどんといれた。
二度の背活で秀治は目を覚ました。
「あっ、おじい。俺は、俺は……」
きょとんとした顔で、尚高を見た。
「お前は、このお嬢ちゃんに負けたんだよ。初手のつめの甘さから、すでに負けておった。お嬢ちゃんが手加減してくれたからよかったものの、そうでなければ肋(あばら)が三本ほど折れとるわい。完敗だの」
ということは、尚高は二人の試合を止めもせずに静観していたということになる。結果からいえば大事にならずに済んだものの、それにしても武術者というやつは……麟太郎は小さな吐息をもらす。
「何が原因なのかは知らんが、これ以上無体なことをすれば、わしは御先祖様に申し訳が立たなくなり、お前を殺すことになるやもしれん。このこと肝に銘じておけ」
じろりと秀治を睨みつけた。
温和な表情は消えていた。
鬼の目だった。
「あっ、はい」
怯(おび)えた声を秀治があげるとすぐに、
「負けたことがわかったのなら、あの約束はちゃんと守ってくれるんだろうね」
すかさず麻世が声を出した。
「ちょっかいを出すのはやめる……でも」
泣きそうな声を秀治はあげた。
「俺は小さいころから美咲のことが好きで好きで。けど本心をいうのが恥ずかしくて、苛(いじ)めたり困らせたり……だから、あの店に顔を出すことだけは許してくれねえか。顔を見るだけで、絶対に何もしねえから」
哀願するようにいった。
やっぱり、そういうことだったのだ。
少し考えるような様子の麻世を見て、
「ほうほう、女子(おなご)の話かのう。いいのう若いもんは。いやあ、あやかりたいのう。いいのう、いいのう」
- プロフィール
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池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。