よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第七章 聖なる場所・前

池永 陽You ikenaga

 麟太郎(りんたろう)と麻世(まよ)は、道場に横づけされたタクシーに向かった。
 タクシーを呼んでくれたのは、道場の主(あるじ)の尚高(しょうこう)だ――ついさっき。
「麻世っ、美咲(みさき)さんから律(りっ)ちゃんが『でいご』に現れたと連絡が入った。美咲さんと比嘉(ひが)はすでにでいごに向かった。俺たちも、これからでいごに直行だ」
 と麻世に向かって大声をあげる麟太郎に、
「何か徒(ただ)ならぬことが、おこったようですな。それならタクシーをお呼びしましょうかの。通りに出て探すよりも、そのほうが確実かもしれませんのう」
 と尚高はいい、麟太郎のうなずくのを見て、すぐに秀治(しゅうじ)に向かって顎をしゃくった。そして、
「お嬢ちゃん。あんたは何やら、尋常ならざるものを持っているようだが……だが如何(いかん)せん、臍(へそ)が曲がりすぎとるようだ。それではなかなか起こりの察知はの。もっと素直になりなされ。心を平たくして穏やかにの。さすれば、起こりの察知も、案外早くに向こうからやってくるかもしれん」
 八掛見(はっけみ)のようなことを麻世にいった。
「やってくるのか、起こりは自然に」
 上ずった声を出す麻世に、
「早くといっても、まず十年はかかると思うがの。まあ何事も、焦らず急がず、赤子の歩み。そういうことだの」
 尚高は何でもないことのようにいう。
「十年……」
 ぼそっと麻世はいい、
「起こりが察知できるようになれば、じいさんのように気の力も強くなれるのか。とんと突いただけで、相手を吹っ飛ばせるような」
 勢いこんで訊(き)いた。
 さっき尚高が麻世を転がした技だ。
「そうさの。あんたも少しは気を操れるようだが、あの力も本人次第だからの。心を平たくして全身全霊、素直な気持で相手の前に立てばな。そうすればある日突然、自ずと上から降ってくるな」
 神妙な顔でいった。
「気は上から降ってくるのか」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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