よみもの・連載

下町やぶさか診療所3

第七章 聖なる場所・後

池永 陽You ikenaga

 ふわりと機体が浮きあがり、そのままぐんぐん上昇していく。
 その日最終の、那覇空港発の羽田便だった。
 隣の麻世(まよ)を見ると、やっぱり両手で肘かけをしっかり握りこんでいる。体も小さく震えているようだ。
 機体が水平飛行に移ってから「麻世、大丈夫か」と声をかけると「大丈夫だよ、少しは慣れたから」という答えが返ってきたが、やっぱりいつもと違って元気はない。
「今日はせっかく問題の御嶽(うたき)にまで行ったのに、律(りっ)ちゃんとは会うことができず、残念だったな」
 会話をしていたほうが恐怖も紛れるだろうと思い、麟太郎(りんたろう)はさらに麻世に話しかける。
「それは無理だよ。いつやってくるかわからない人に会うために、突然現地を訪れたって、それは確率的にはゼロに近いことなんじゃないか。もし、それで会えたとしたら、奇跡だよ」
 麻世も無言でいるより喋(しゃべ)っていたほうが気が紛れると感じたのか、話に乗ってきた。
「奇跡か――そうともいえるな」
 麟太郎は小さくうなずく。
「だけど、一度行っただけの山のなかの御嶽に、よくちゃんと行けたよな……」
 麻世はこういってから、ちょっと考えこむような面持ちになり、
「というより、じいさんはその御嶽までは行ってないんだよな。実際には律子(りつこ)さんたちが住んでいた集落までで。そこから御嶽の途中まで行って雨に降られ、引き返してきたんだろ。それでも辿(たど)り着けたというのは、凄(すご)いとしかいいようがないな。まあそれだけ、じいさんにとっては絶対に忘れることのできない、思い出の場所なんだろうけど、執念といってもいいな」
 感嘆の口調でいった。
「いや麻世。その執念という言葉は、それはちょっと、いいすぎだと俺は思うぞ」
 麟太郎は慌てて早口でいって、
「あの御嶽は律ちゃんや比嘉(ひが)などのように、かつてはあの集落に住んでいた人たちの極めて大切で神聖な場所であったはずで。そのため、今でもたまには、その人たちがあの場所を訪れることもあるわけでな。つまり、よくよく観察すれば、かつての踏み分け道を確認するのは可能だということだ。あとは何とかその道を辿っていけば、おのずと終点に誘(いざな)ってくれるということだ」
 ちょっとむきになったように一気に口に出した。が、麟太郎のいったことは事実でもあった。
 律子たちが住んでいた集落までは割と容易に行けたが、問題はそれからだった。集落の先は濃い緑におおわれていて、ほとんど密林状態だった。
 そんな状況のなか、麟太郎は目を皿のようにして、かつて途中まで行ったことのある御嶽への小道を必死の思いで探した。これを執念といえば、そういえないこともなかったが……。
 ようやくそれらしき痕跡を見つけ、あとは微(かす)かな踏み分け道を一歩一歩確かめながらゆっくりと進んだ。そして進み始めてから二時間ほど――ふいに百畳ほどの草地に出た。ぽっかりと開けたその正面に御嶽はあった。

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

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