よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第一章 それ以前の世界(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

   四

 比叡(ひえい)の状況を心配していたのは、艦内の者たちだけではなかった。
「大胆にすぎるぞ」
 と険しい声をあげたのは、海軍の軍令部長樺山資紀(かばやますけのり)だった。もともとへの字型の唇をさらにゆがめている。
「敵中に突っ込むとは、いや、やりますな」
 と苦笑しているのは、参謀の伊集院五郎(いじゅういんごろう)少佐だ。奥まった丸い目の童顔だが、英国留学が長い秀才肌の男である。
 この日の連合艦隊には、第一遊撃隊と本隊のほかに、仮装巡洋艦の西京丸(さいきょうまる)と砲艦の赤城(あかぎ)の二隻が参戦していた。
 西京丸は、日本郵船の貨客船に砲をのせて軍艦に改造したもので、甲板上に設けられた多くの客室がその素性を物語っている。樺山軍令部長が幕僚五人とともに、戦況視察の名目で乗り込んでいた。
 軍令部は海軍全体の作戦・指揮を統括する組織で、その長である軍令部長は、海軍大臣とならぶ海軍の最高首脳である。
 戦場にあっては連合艦隊司令長官が各艦の指揮をとるが、そもそもの作戦目標は軍令部が立案し、司令長官に下命する。
 だから軍令部長は戦場ではなく、日本の大本営にでんと鎮座しているべきなのである。しかし日本にいてはまったく戦況が伝わらず、作戦の立てようがないとして、樺山軍令部長は現場に乗り込んできたのだった。
 実際、現地からの報告は港からの電信に頼るしかなく、それも艦隊が洋上に出てしまえば途切れてしまう。いったん開戦となれば、軍令部は蚊帳の外におかれる他はなく、指揮も作戦立案もできない。
 さりとて艦隊に乗り込むわけにもゆかず――それでは下僚である連合艦隊司令長官の指揮下にはいってしまう――、苦肉の策として仮装巡洋艦に乗り込み、戦場にきたのである。
 旧薩摩(さつま)藩士で幕末には志士として活躍した樺山は血の気の多い男で、海軍大臣時代には国会で、薩長藩閥を擁護し政府批判に反論する「蛮勇演説」をおこない、大混乱を引き起こしたこともある。
 一説には、いくらか消極的な伊東(いとう)司令長官の尻をたたくために乗り込んできたとか、あるいは戦況を質問する新聞記者の攻勢に耐えられず、日本を逃げ出してきたともいわれている。
 もちろん実戦に加わるつもりはなく、この海戦でも敵艦隊と距離をおき、安全な本隊左舷の海域に位置していた。
 ところが海戦がすすむと、安全だったはずの海域が安全ではなくなってきた。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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